どこから来て、どこに向かって行くのか
2024年7月時点での過去、現在そして未来
男声パートリーダー 安井 勲
1.毎年の定期演奏会に向けてご報告してきたこのコラム、
今年は2024年8月18日(日)@鎌倉芸術館大ホールで予定している、第20回記念を定期演奏会のご紹介をつうじて、
横浜ルミナス・コール(以下、ルミナスといいます)のこれまでと今日、そして今後・・・のようなことをご紹介したいと思います。
2.第20回記念定期演奏会は、昨年のこのコラムでご紹介した通り、
「ルミナスのきのう・きょう・あした」をコンセプトとして、次のようなステージ構成となります。
(1)きのう:20年以上の歴史の中で歌ってきた数多くの楽曲の中から、団員によるアンケートを元に選んだ“珠玉の名曲”を、
「LUMINOUS SELECTION since 2002」と題して歌います。
ルミナスの「きのう」=「これまでの歩み」を振り返るステージです(第1ステージ)。
(2)あした:気鋭の作曲家、市原俊明さんによる「この星で」を、
ルミナスの「あした」=「未来」を示す作品としてお届けいたします(第2ステージ)。
(3)きょう:コロナ禍の下、リモート練習を使って練習を進めてきたフォーレの名曲「レクイエムop.48」を、
ルミナスの「きょう」=「現在の到達点」を示す作品として、
永澤(杉村)先生のソロ、清水先生のオルガン、公募の仲間たち、そしてラスベート交響楽団とともに演奏いたします(第3ステージ)。
3.ゾルタン・コダーイ作曲のKöszöntö(祝い歌)をオープニングとして演奏会の幕を開けた後に、
第1ステージの「LUMINOUS SELECTION since 2002」では、次の8曲を歌います。
(1)Sicut cervus desiderat(谷川の水を求める鹿のように)
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ 作曲
(2)「Vier Quartette(四つの四重唱曲)OP.92」より「O Schöne Nacht」(おお、美しい夜よ)
ヨハネス・ブラームス 作曲
(3)混声合唱組曲「水のいのち」より「雨」
高野 喜久雄 作詩、髙田 三郎 作曲
(4)混声合唱とギターのための組曲「クレーの絵本 第1集」より「あやつり人形劇場 1923」
谷川 俊太郎 作詩、三善 晃 作曲
(5)無伴奏混声合唱のための「カウボーイ・ポップ」より「ヒスイ」
寺山 修司 作詩、信長 貴富 作曲
(6)混声合唱による美空ひばり作品集「川の流れのように」より「お祭りマンボ」
原 六朗 作詞・作曲、信長 貴富 編曲
(7)「瑠璃色の地球」 松本 隆 作詞、平井 夏美 作曲、源田 俊一郎 編曲
(8)「ひとつの誓い」 小林 武夫 作詩・作曲
一つ一つの作品解説は当日、配布させて頂くパンフレットのプログラムノートに譲るとして・・・
この場では、それぞれの作品が映し出すルミナスの活動や歴史、意味合いのようなことをご紹介したいと思います。
ルミナスの選曲方針として、
海外のアカペラ作品、伴奏つき作品、邦人のアカペラ作品、伴奏つき作品をバランスよく歌うことで発声やアンサンブルの実力を上げたい。
そして、最終的な目標として、日本の今を生きる私たちとして、邦人の合唱作品を共感をもって歌いたい。
私たちが感じた感動をお客様と共有できる良い演奏をしたい・・・そのようなことを考えて、2002年にルミナスの活動をスタートしました。
その結果、色とりどりの選曲となり、ボイストレーナーの永澤(杉村)麻衣子先生から「色々な時代の色々なジャンルの作品を歌いすぎる」と
お叱りを受けることもあり、本当に実力の向上に結び付いているのか・・・と悩むところではありますが、
「古今東西の歌いたい良い作品を歌い続けてきた」と言うことはできるのではないかと思います。
今回のセレクションの8曲には、そのようなルミナスの足跡が刻まれています。
自分たちの発声とアンサンブル力の向上のため、アカペラ(無伴奏)作品は必ず選曲するようにしています。
邦人のアカペラ作品(例えば、武満 徹さんの「うた」シリーズや、木下 牧子さんの「アカペラ・コーラス・コレクション」)も取り上げていますが、
歴史と伝統を持つ海外の宗教作品や世俗的なアカペラ合唱作品は、名曲の宝庫です。
海外のアカペラ作品の系譜として、パレストリーナやビクトリア、バードなどのルネサンスポリフォニーの名曲、
ラターやローリゼン、イエーロなど現代作曲家の作品も手がけてまいりました。
そうした作品の中から、ハンガリーの作曲者であり教育者でもあるコダーイの小曲と、
ルネサンスのポリフォニー音楽を代表するパレストリーナの名曲を取り上げます。
パレストリーナの「Sicut cervus」は、第1回定期演奏会の第1ステージの1曲目に演奏した、思い出の作品。
コダーイは、純正なハーモニーの学習を目指して、マジャール語に悪戦苦闘しながら、何曲も取り組みました。
「Köszöntö」は様々な演奏スタイルを盛り込みながならも、技巧くささを感じさせない佳曲。
私たちの愛唱曲として、見学に来て頂いたゲストのお名前を入れて歌っています。
伴奏つきの海外作品も多く取り上げてまいりました。
このジャンルは、ボイストレーナーであり客演指揮者としても、ルミナス初期の活動からご指導頂いた、杉村 俊哉先生にリードしていただきました。
杉村先生は惜しくも2012年に夭折されましたが、ドイツ古典派やロマン派の名曲を、情熱的にご指導いただきました。
ドイツ、オーストリアの合唱作品の系譜として、ハイドンやモーツアルト、メンデルスゾーンなどの名曲を歌ってまいりましたが、
そうした作品の中から、ブラームスの大変ロマンテックで美しい4重唱曲「O Schöne Nacht」を歌います。
ルミナスのステージングの名物?として、企画ステージがあります。
「合唱になじみがなくて、始めて私たちの定期演奏会で合唱作品に触れた方にも楽しんでいただける音楽でありステージ」、
企画ステージをそのように考えて、毎年「企画」しています。
ただ、企画ステージがそのように幅広い定義ですので、できあがる企画ステージの内容にも幅があります。
有名なオペラ「カルメン」やミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」からの音楽を芝居付きで取り上げたり、
オリジナルストーリーにお芝居とよく知られたポピュラー音楽を組み入れて文字通り「新たに企画したステージ」を作り上げたり、
よく知られた民謡やポピュラー作品を合唱アレンジでお聴きいただいたり・・・など、様々なテイストのステージをお送りしてまいりました。
実はこの企画ステージ、考えるのも演奏するのも結構大変なわけですが・・・お客様のアンケートではご好評をいただいていますし、
年間行事として行っているケアプラザでのボランティア演奏会で取り上げて、施設の利用者や職員の皆さんに喜んでいただいております。
そのような・・・企画ステージで取り上げてきた膨大な作品の中から、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」と松田聖子さんの「瑠璃色の地球」を、
合唱編曲でお送りします。
そして、最初にお話ししたルミナスの方向性と選曲方針から、メインステージとなるのが邦人の合唱作品です。
このジャンルにも多くの作品があり、髙田 三郎さん、三善 晃さん、信長 貴富さん、千原 英喜さんなどの大家の名曲を多く取り上げてまいりました。
今回は、ルミナスとして意識的に繰り返し取り上げてきた髙田作品から「雨」、三善作品から「あやつり人形劇場」、信長作品から「ヒスイ」を演奏いたします。
そして、セレクションステージの最後を飾るのは、ルミナス団員で作曲家の小林 武夫さんに、
ルミナスの第15回定期演奏会のアンコールピースとして作曲していただき、以来私たちの愛唱曲となっている「ひとつの誓い」を歌います。
私たち合唱団の生い立ちも、苦労も、日常も・・・知り尽くした小林さんが私たちのために作詞、作曲してくれた作品。大切に歌いたいと思います。
【小林武夫(こばやし たけお)】
1971年生まれ。宮城県石巻市出身。新潟大学理学部物理学科卒業。
在学中に同大学管弦楽団に所属しファゴット(Bassoon)を担当。ピアノを福田りえ氏、作曲を佐々木啓介氏に師事。
●主な作品:
コンサートマーチ「青葉の街で」(2014年全日本吹奏楽コンクール課題曲IV)
コンサートマーチ「緑の丘で」(ティーダ出版)
無伴奏混声合唱曲「ひとつの誓い」(カワイ出版)
無伴奏混声合唱曲「歌がうまれる」(パナムジカ出版)
4.第2ステージでは、ルミナスの「あした」=「未来」を示す作品として、大崎 清夏 作詩、市原 俊明 作曲「この星で」を歌います。
サンフランシスコ州立大学で作曲を学ばれた市原さんは、ポップス系の演奏家としての活動が多かったとのことですが、
「角を吹け」という作品で2015年度の朝日作曲賞を受賞。合唱コンクール課題曲ともなったことが作曲家としてターニング・ポイントとなったそうです。
混声合唱とピアノのための「やがて悲しみが」(2017年)、「角を吹け」を含む混声合唱とピアノのための「印象」(2018年)、
混声合唱とピアノのための組曲「目をそらさずに」(2018年)。ポップスやジャズのイディオムとクラシカルなスタイルとを融合させながら、
「今」を感じさせる、これまでにない魅力あふれる作品を世に送り出されるとともに、合唱指揮者やアンサンブルトレーナーとしてもご活躍です。
詩人の大崎さんは、市原さんと同年の1982年のお生まれ。
2007年頃から詩人としての活動を開始され、2014年に第二詩集「指差すことができない」で第19回中原中也賞を受賞。
その後も詩集や小説、絵本などを発表されるとともに、舞台公演や映像作品とのコラボレーションも数多く手がけておられます。
「この星で」は、ルミナス常任指揮者の小久保 大輔先生の指揮により、法政大学アカデミー合唱団が 2021 年に初演した、新しい合唱作品です。
楽譜も未出版で、今回は市原先生の手になる改訂を加えられた改訂版初演となります。
ルミナスの「あした」=「未来」を示す作品として何を選ぶか・・・様々な視点や考え方があり大変難しい課題でしたが、
ルミナスとしてまだ取り上げていない若手、中堅の作曲家による、フレッシュでチャレンジングな作品に取り組みたい、そんな思いから選曲いたしました。
「この星で」は、(比喩的な意味で)まだ生まれ落ちたばかりでどういう生き方をしたらいいのかわからない「あなた」(永遠と一日)が、
人や社会との関係に揉まれ悩みながら(ジョーカー)も、自分の思う方向に踏み出せる自信を持つまでに成長(うまれかわる)し、
たとえこの星が荒廃して他の人々が次の星へ移住するとしても「わたしは」この星に止まってこの居場所をより良いものにしてゆこう(次の星)・・・
と決意するまでを歌った作品です。※
20 回目の定期演奏会の節目を経て、「ここを出発点としてまた新たな歩みを始めてゆこう」という、私たちの未来への決意を表すのにふさわしい楽曲ですし、
大崎さんの詩の世界感(現実と非現実、日常と非日常、現在と未来・・・の自由な往来)に寄り添いながら、市原さんは重厚かつ美しいオードックな音楽から、
テンポやリズム、言葉のさばき方が斬新でトリッキーな音楽までを、精緻に設計し組み合わせて、とても面白い作品に仕上げています。
まさにフレッシュでチャレンジングな作品です。
※混声合唱とピアノのための組曲 この星で
Ⅰ 永遠と一日、Ⅱ ジョーカー、Ⅲ うまれかわる、Ⅳ 次の星
Ⅰ、Ⅲ、Ⅳは「新しい住みか」から採用。Ⅱは「踊る自由」から採用。
【大崎清夏(おおさき・さやか)】
1982年、神奈川生まれ。詩人。早稲田大学第一文学部卒。
2011年、ユリイカの新人としてデビューし、第一詩集『地面』を刊行。
2014年、第二詩集『指差すことができない』が第19回中原中也賞受賞。『踊る自由』で第29回萩原朔太郎賞最終候補。著書に、詩集『地面』、
2018年『新しい住みか』、2021年『踊る自由』、初期詩集3作をまとめた『大崎清夏詩集』(青土社)を2024年に発表。
『私運転日記』(twililight)、絵本『うみの いいもの たからもの』(山口マオ・絵)、小説&エッセイ集『目をあけてごらん、離陸するから』ほか。
美術作品や舞台芸術における協働制作も活動の主軸に据え、奥能登国際芸術祭パフォーミングアーツ「さいはての朗読劇」(22,23年)では脚本と作詞を担当。
2024年には、舞台『未来少年コナン』劇中歌歌詞、シャリーノ作曲オペラ『ローエングリン』日本語訳の修辞も手がけた。
【市原俊明 いちはらとしあき】
1982年、東京都生まれ。サンフランシスコ州立大学(アメリカ・カリフォルニア州)音楽学部作曲科卒業。
在学中ピアノをWilliam Corbett-Jones、作曲をRonald Caltabiano、Richard Festinger、Josh Levineの各氏に、室内楽をAlexander String Quartetに師事。
現在は作曲家・合唱指導者として活動しており、特に近年はおもに都内のアマチュア合唱団の指揮者・ピアニスト・指導アシスタントとして活躍。
自作曲の自演も含め活動の場を広げている。
2015年、『混声合唱とピアノのための “印象”』で第26回朝日作曲賞受賞。
2015年度北区区民文化奨励賞受賞。東京成徳大学非常勤講師。
●混声合唱
市原俊明:混声合唱とピアノのための「やがて悲しみが」
森山至貴・相澤直人・市原俊明・名島啓太:四人の作曲家による連作ミサ曲「深き淵より」
市原俊明:混声合唱とピアノのための「印象」
市原俊明:混声合唱とピアノのための組曲「目をそらさずに」
●混声合唱編曲
市原俊明:定番!! 昭和あたりのヒットソング 混声合唱ピース「もしもピアノが弾けたなら」
5.第3ステージでは、ガブリエル・ユルバン・フォーレ作曲の名曲、「レクイエムop.48」を歌います。
コロナ禍により、2021 年4 月に鎌倉芸術館大ホールで、
ラスベート交響楽団※との共演で予定していたフォーレのレクイエムを含む 20 周年記念演奏会は中止となりましたが、
私たちはこの間もリモート練習等でこの作品の練習を継続してまいりました。
※2019 年、小久保先生がルミナス同様に常任指揮者をされているラスベート交響楽団の設立 20 周年記念演奏会に、当団は賛助出演させていただきました。
ブラームスの項で触れたボイストレーナーで客演指揮者でもあった杉村 俊哉先生が、
「いつかルミナスもフォーレのレクイエムが歌えるような合唱団になりたいですね・・・」とおっしゃった言葉に導かれたこの作品を、
奥様でボイストレーナーの杉村(永澤)麻衣子先生のソプラノソロ、オペラ歌手・指揮者・シンガーソングライター・・・とマルチにご活躍の太田代 将孝先生のバリトンソロ、さらに公募による多くの合唱メンバーとラスベート交響楽団との共演で「ルミナスの今日」(=到達点)としてこの作品を歌います。
コロナ禍を乗り越えてようやくこの作品を歌えることは無上の喜びですし、争いごとや深い悲しみに満ちたできごとの多い「今日」、
フォーレの名曲にのせて私たちの祈りを捧げたいと思います。
6.第20回記念定期演奏会の概要をご紹介させていただきましたが、第21回定期演奏会の方向性についても決まりつつあります。
このコラムの最後に、いくつかポイントをご紹介させていただくと・・・
■公募メンバーを募り、定期演奏会の1ステージとして演奏する、合同演奏の取り組みを次回も継続することとしました。
第20回記念定期演奏会ではフォーレを歌う仲間を募ったところ、40名を超える方々にお集まりいただきました。
「全ての練習に参加して、全てのステージに乗ることはできないけれども、限られた練習なら参加できるし歌いたい・・・」というニーズがあることが分かりましたし、「月に1度くらいなら遠方からでも駆けつけて歌いたい・・・」というOBがおられることも分かりました。
公募ステージを継続してそうした方々のニーズに応えたいと思いますし、そうした取り組みからルミナスのファン層を広げて、
入団につながれば・・・とも思っています。
■合同ステージを含めて、演奏会の骨格を次のように決めました。
第1ステージ(海外アカペラ作品集)
バスク地方の宗教合唱曲集(ハビエル・ブスト―、シャビエル・サラソラ作品集)
・Ave Maria(ブスト―/再演)
・Ave verm corps(ブスト―)
・O sacrum convivium(サラソラ)
・Ave Maria(サラソラ)
第2ステージ(伴奏付邦人合唱組曲)
混声合唱組曲「五つの童画」 高田 敏子 作詩、三善 晃 作曲(再演)
第3ステージ(企画ステージ)
市原 俊明編曲による「文化の越境」をテーマにした日本や世界の名歌・民謡集
第4ステージ(合同ステージ)
混声合唱組曲「水のいのち」 高野 喜久雄 作詩、髙田 三郎 作曲(再演)
■選曲の考え方は次のとおりです。
(1)「水のいのち」は1964年(昭和39年)の芸術祭参加作品で奨励賞受賞作品。今なお全国の合唱団で歌い継がれている古典的名曲です。
今年のセレクションシリーズで1曲目の「雨」を歌いますが、改めて全曲歌いたい魅力ある作品ですし、
1ステージだけの参加メンバーにも取り組みやすい作品として選びました。
(2)「五つの童画」は1968年(昭和43年)のNHK委嘱による芸術祭参加作品で奨励賞受賞作品。
この作品ももはや古典ですが、「水のいのち」とはまったくテイストを異にし、深い内容をもったチャレンジングな難曲です。
ルミナスとしては再演となりますが、必ず新たな発見がある・・・と思います。
(3)海外アカペラ作品集は、バスク地方出身のブスト―と少し年下のサラソラの作品を歌います。
スペイン北部のバスク地方は、ピレネー山脈をはさみ、スペインとフランスの両側にまたがる地域。
そこに住む人たちは、自分たちのことをバスク人と呼び、ヨーロッパの他の国とまったく違う言葉を話し、独自の文化を育んできたといいます。
合唱の世界でも、ヨーロッパ6大コンクールのひとつ「トロサ国際合唱コンクール」が開かれることもあり、バスク地方は合唱音楽の宝庫。
ブスト―、サラソラとも現代の作曲家ですが、バスクの明るい陽光を感じさせる素朴で美しい作風が特徴です。
(4)バスクと日本の古典的名曲2曲を繋ぐ企画ステージは単なるお楽しみステージではなく、
「この星で」を作曲された市原先生の編曲集「Souvenir du Japon 」を軸に、
日本や世界のよく知られた名歌・民謡によりバスク、日本、世界・・・の文化がクロスオーバーするような、意欲的なステージにしたいと思います。
7.「横浜ルミナス・コールはどこから来て、どこに向かって行くのか」をテーマに綴っているこのコラム。
シリーズの最初に申し上げた通り「自らの感動を、音楽を聴いて頂いている方々と共有できる、良い演奏がしたい」と、
向かう方向はあるつもりなのですが・・・まだまだ道半ば。20回目の記念定期演奏会を節目に、新たな歩みを始めます。
このコラムをお読みいただき、興味を持って頂けましたら、ぜひ練習会場にお運びいただき、
練習風景をご覧いただければ・・・と思いますし、一緒に歌いましょう!!
練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので覗いてみて下さい。お待ちしています。
以上
追記:
8月1日に臨んだ抽選会の結果、2025年8月24日(日)の神奈川県立音楽堂を引き当てることができました!!
第20回の記念定期演奏会、そして・・・来年8月の第21回定期演奏会にもぜひ、お運びいただけたらと思います。
2023年7月時点での過去、現在そして未来
横浜ルミナス・コールはどこから来て、どこに向かって行くのか
-2023年7月時点での過去、現在そして未来
技術委員長 安井 勲
1.毎年の定期演奏会に向けてご報告してきたこのコラム、ようやく新型コロナウイルス禍以前に戻って、2023年8月27日(日)@横浜市瀬谷公会堂で予定している、第19回定期演奏会のご紹介ができるようになりました。
横浜ルミナス・コールの歩みをご紹介しているこのコラム、前回は2020年12月付で、新型コロナウイルス蔓延下での練習や活動継続の苦労・・・のようなことをお話しさせて頂きました。そして、2021年1月8日に緊急事態宣言が発出される中、一日も早い日常の回復を願って、コラムは閉じられています。
そして時間は下り、2022年7月30日(土)に横浜市南公会堂で、サマーコンサートを行いました。当時はまだ全員がマスクをつけた演奏で、演奏会のご案内も限られた範囲でしたが、コロナ下のZOOMを利用したリモート練習と、公会堂のような広い会場で行ってきたリアル練習の成果として、有観客で次の作品を演奏致しました。この演奏会の模様は、私たちのHPからYOUTUBEでご覧頂くことが可能になっています。
混声合唱団 横浜ルミナス・コール (yokohama-luminous-chor.com)
指揮:小久 保大輔 ビアノ:清水 新
■Messe in G op.151 Josef Gabriel Rheinberger
■混声合唱のためのホームソングメドレー1より 《ドイツ・オーストリア編》 源田俊一郎 編曲
■覚 和歌子の詩による混声合唱曲集 等圧線 覚 和歌子 詩 信長 貴富 作曲
このサマーコンサートの様子からコラムを再開できればよかったのですが、私自身が新型コロナウイルスに罹患してしまいサマーコンサートを欠席、お知らせができないままとなっておりました。
2.少々前おきが長くなりました。2022年8月から仕切り直し、2023年8月27日に定演を行う予定で、今年も常任指揮者 小久保大輔先生の指揮、清水新先生のピアノ、永澤麻衣子先生の発声指導により行います。演奏曲は後期ドイツロマン派の作曲家ラインベルガーのア・カペラ(無伴奏)のレクイエム、名田綾子さん編曲による「混声のための童謡名歌集「日本の四季めぐり」」、信長貴富さん作曲による「混声合唱曲集「女性詩人による三つの譚歌(バラード)」」、そして企画ステージをお送り致します。ア・カペラ宗教作品、邦人作品、企画ステージと言う三つの柱は、私たちの活動の一つの型。ようやく「これまでの演奏会の形」に戻ることができました。
これまでラインベルガーの2曲の「ミサ」を取り上げてまいりましたが、今年はア・カペラの「レクイエム」(死者のためのミサ曲)を取り上げます。そして、ピアニストであり作曲家である名田さんの編曲になる、日本の四季を綴った名曲集を。プログラムの後半は、これまでも多くの信長作品を取り上げてまいりましが、今年も佳曲の詰まった混声合唱曲集。そして最後の企画ステージは「沖縄」をテーマにお送りします。
第1ステージは、ヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー(1839年-1901年)作曲の「Requiem in Es Op.84」(変ホ長調のレクイエム作品84)を演奏します。
ラインベルガーは、スイスとオーストリアに囲まれた中央ヨーロッパに位置する君主制国家であり、当時はドイツ連邦に加盟していたリヒテンシュタイン(現リヒテンシュタイン公国)の首都ファドゥーツに生まれ、ドイツ帝国のミュンヘンに没した作曲家、オルガン奏者、指揮者であり、とりわけ教育者として有名な存在でした。
作曲家としてはオルガン曲が有名で、20あるオルガンソナタは彼の代表作ですが、そのほかに宗教曲、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲にも多くの作品を残しています。とりわけ、合唱曲では、「3つの宗教的な歌 op.69」の第3曲「Abentlied(夕べの歌)」は大変美しい作品で、小品ながらよく知られています。
これまで横浜ルミナス・コールは、ラインベルガーのヘ長調のミサ(作品117)、ト長調のミサ(作品151)を取り上げてきました。ラインベルガーは14曲(1曲は未完)のミサ曲、5曲のレクイエム(うち2作は習作)を残しており、3つのレクイエム(変ロ短調作品60、変ホ長調作品84、ニ短調作品194)のうち、本日演奏する作品84のみア・カペラ作品。そして、作品84と194のレクイエムの特徴は、劇的な続唱「Dies irae」(怒りの日)を含まず、詠唱「Absolve, Domine」(主よ、許してください)が挿入されていることです。「Dies irae」を含まないレクィエムとしてフォーレの作品が有名ですが、それよりも20年ほど早い作品です。
作品84が完成したのは1869年、30才のとき。フルオーケストラ伴奏つきの大規模なレクイエム(作品60)を作曲したのは1865年で26才であり、いずれも比較的若い時代に創られています。また、他の2曲、そしてモーツアルトやフォーレなどの有名なレクイエムがいずれも短調で始まるのに対して作品84は長調で始まります。8曲から成る全体でも20分程度のコンパクトな作品ですが、オルガンを思わせる重厚な響きの鎮魂のためのミサが、穏やかで明るい光に包まれたような雰囲気の中で紡がれています。
ラインベルガーの作風には伝統を重んじる保守性が感じられます。そのためか彼の死後、作品は急速に忘れられて行きますが、生誕150年を迎えた1989年ころを境に、演奏や出版による再評価が進み、近年は復権を果たしています。
※「私設ラインベルガー研究室」の記載も参考にしています。
第2ステージは、名田綾子さんによる、混声のための童謡名歌集「日本の四季めぐり」を演奏します。誰もがよく知っている童謡や唱歌を編曲した合唱曲集で、ジャズやポップスの要素を取り入れるなど、新しい視点で捉えた洒落たアレンジで人気の作品です。
花 作曲 瀧 廉太郎 作詩 武島 羽衣
1900年(明治33年)に発表された有名な歌曲。春霞(かすみ)たなびくような淡い隅田川の風景が徐々に開いてゆき、桜や青柳の並ぶ錦の織物のような美しい土手の風景が目の前に広がってくる。
夏は来ぬ 作曲 小山 作之助 作詩 佐々木 信綱
1896年(明治29年)に発表された初夏の風景を歌った有名な唱歌。穏やかな混声4部合唱から一転、小気味良いジャズの曲調に変わる。
夏の思い出 作曲 中田 喜直 作詩 江間 章子
1949年(昭和24年)にNHKのラジオ番組「ラジオ歌謡」で発表された人気の楽曲。作曲の中田喜直は今年、生誕100年を迎えている。作詩の江間章子は「尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とよぶ」と言う。その夏の思い出を編曲者は独特な世界観で描いている。
ちいさい秋みつけた 作曲 中田 喜直 作詩 サトウ ハチロー
1955年(昭和30年)NHKの番組「秋の祭典」の楽曲の1つとして作曲され有名になった童謡。季節は秋。原曲のリズム感を生かした輪唱スタイルの編曲の中から、秋を思わせる乾燥したカサカサ・・・という音が聞こえてくる。
冬景色 文部省唱歌
1913年(大正 2年)発行の尋常小学唱歌教材として取り上げられた文部省唱歌。春から始まった曲集も冬を迎える。転調と巧みな対旋律、和声を駆使して立体感ある冬景色を描き出す。
第3ステージは、信長貴富さん作曲の「混声合唱曲集「女性詩人による三つの譚歌(バラード)」」を演奏致します。
信長貴富さんは1971年生まれの作曲家。上智大学文学部教育学科を卒業し、公務員を経て作曲家として独立。作品の多くは合唱曲ですが、歌曲や器楽曲にも積極的に取り組んでいる現在人気の作曲家。この曲集は女声合唱曲として別々に作曲されたもので、2019年に混声合唱曲集に編み直されました。各曲について信長さんは楽譜の扉で次のように述べています。
「花こそは心のいこい」は3曲の中でもっとも新しく、2013年に作曲した女声合唱曲集「世界中の女たちよ」に収録されたものがオリジナル。詩人の福田須磨子(1922~1974)は長崎の被爆者で、原爆の体験や原水爆を告発する作品を世に送り出した。「花こそは心のいこい」には詩人の祈りが静かに刻まれている。
「天空歌」(詩=永瀬清子1906~1995)のオリジナルは2002年作曲の女声合唱曲集「空の名前」に収録されている。この詩は1940~1947年の創作による「大いなる樹木」に収められたもので、戦中戦後の混乱の中で書かれたことが想像される。鬱屈した日々の中にあっても、詩人の心の中には芸術の炎が燃えていたことであろう。詩の中でのみ自身の精神を開放することのできた時代であったのかもしれない。
「春」は2006年に作曲した女声合唱曲がオリジナル。新川和江(1929~)の処女詩集「眠り椅子」(1953年刊行)に収められている最初期の詩。詩の冒頭で「わたしはもう悲しむまい」と歌われる。作詩当時の若き詩人にどのような悲しみがあったのかは分からないが、その悲しみを乗り越えて生きようとする青々とした力強さを感じる。(中略)女性が生きづらい時代(それは現在も続いていると思いますが)の中で詩作を続けた3人の詩人には、共通する力強さが読み取れる」のではないか。3曲続けて演奏する中で「明日への活力のようなものを感じて頂ければ、望外の喜びです。」
コロナ禍や戦争など様々な社会不安が身近にある現在、年齢や性別を問わず、不安や絶望に苛まれることのある日常。そうした時代だからこそ、戦中、戦後の時代を力強く生き抜いた詩人の言葉から明日への活力をもらいたい。そして「天空歌」が含まれる女声合唱曲集「空の名前」の中の一曲、戦前から戦中戦後を生きた高田敏子の詩による「夕焼け」の一節、「夕焼けが 火の色に 血の色に 見えることなど ありませんように」と今こそ祈りたいと思います。
3.以上のような作品で構成する第19回定期演奏会ですが、期せずして日本の来し方や現状に思いを致し、これからの平和を祈る、そのようなステージングとなりました。
ラインベルガーは、私たちはミサ曲からの繋がりで自然にレクイエムを選曲致しましたが、コロナ禍はもちろんこれまでの、そして今も進む戦争で失われていった多くのいのちへの鎮魂の歌となりました。
名田さんの童謡の編曲集は、四季折々の風景に宿る普遍的な日本人の心情を映し、信長さんの「バラード」は、日本の戦前から戦後を生き抜いた女性詩人たちの言葉をつうじて、自由と平和を希求する思いを。そして、沖縄ステージは、沖縄人(うちなんちゅう)が荷ってきた歴史の重さと、自然に宿る神々との交流、永遠のいのちのようなものを感じるステージとなりました。
ぜひ会場にお運び頂き、何かを感じて頂けば・・・と思います。
4.2022年7月に行ったサマーコンサートで仕切り直して、今年8月27日の第19回定期演奏会を目指してきたこの1年ですが、山あり谷あり・・・の日々。悩みの中心は・・・全国の合唱団同様、やはり新型コロナウイルスとの付き合い方でした。
新型コロナウイルスは2023年5月8日からインフルエンザ相当の第5類に移行し、マスクの着用や換気などに関する規制は基本的に解除されましたが、足元の感染拡大は続いており、むしろ新型コロナウイルス対応は各団体であり、各個人に委ねられることとなりました。社会の公器である社会人合唱団として、練習の場を通じたコロナウイルス感染者を出さない、クラスターを発生させないという基本方針の下、日常の健康管理を徹底するとともに、練習や本番でのマスクの着用は個人の判断を優先、また練習場での立ち位置やディスタンスも考慮しながら、現在も注意深く活動を続けています。
コロナ禍での悩みごとは以前のコラムにも書きましたが、団員の減少です。コロナウイルスの蔓延に関連する様々な理由で横浜ルミナス・コールを離れざるを得ない方々がおりましたが、社会全体がアフターコロナに向かう今、そしてこれから・・・最後にご紹介させて頂く第20回定演での取り組みも踏まえて、復団して頂くこと期待したいと思います。また、コロナ禍の下でも入団して頂いた方もたくさんおられますし、新たに一緒に歌ってみよう・・・と思って頂ける方の見学やご参加をお待ちしています。
5.さて、最後に次々回、2024年の8月頃の開催を目途に準備を初めている「第20回定期演奏会」についてご紹介させて頂きます。
第20回定演は、「ルミナスのきのう・きょう・あした」をコンセプトとして、次の選曲を予定しています。
(1)きのう:ルミナスで過去演奏してきた作品からの再演ステージ。
(2)きょう:コロナ禍の下、リモート練習を使って練習を進めたフォーレの「レクイエム」を「今日のルミナスの姿」として、改めて永澤先生のソロ、ラスベート交響楽団とともに。
(3)あした:第21回定演以降に向かう新しいルミナスを象徴する「新しい作曲家による新しい作品」として、大崎清夏作詞、市原敏明作曲「この星で」。
フォーレの「レクイエム」はとても有名な作品で、小久保先生が指揮をされ2019年の設立20周年記念演奏会に賛助させて頂いたラスベート交響楽団に共演頂きます。オーケストラとの共演となりますので、横浜ルミナス・コールはフォーレの「レクイエム」を一緒に歌っていただける「ワンステージ団員」を募りたいと思います。
募集の詳細は2023年10月頃を目途にホームページ上に掲載いたしますので、ご確認願います。
6.「横浜ルミナス・コールはどこから来て、どこに向かって行くのか」をテーマに綴っているこのコラム。シリーズの最初に申し上げた通り「自らの感動を、音楽を聴いて頂いている方々と共有できる、良い演奏がしたい」と、向かう方向はあるつもりなのですが・・・まだまだ道半ばです。
そうした旅の途中の第20回定期演奏会で、改めて「ルミナスのきのう・きょう・あした」を問います。
20回目の定演を節目に、改めて「横浜ルミナス・コールはどこから来て、どこに向かって行くのか」を考え、新しい一歩を踏み出す機会としたいと思います。
このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ練習会場にお運び頂き、練習風景をご覧頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので覗いてみて下さい。お待ちしています。
以上
2020年12月時点での過去、現在そして未来
技術委員長 安井 勲
Ⅰ.毎年の定期演奏会に向けてご報告しているこのコラム、今年はいささか趣の異なるコラムとなりました。
2021年4月29日(木)に鎌倉芸術館大ホールで、ラスベート交響楽団との共演でフォーレのレクイエムを含む演目を予定していた20周年記念演奏会は中止。現在も演奏会の目途は立っていません。
しかし、まだまだ続くコロナ禍の下ですが、ルミナス・コールは7月から練習を再開し活動を維持しています。課題は満載ですし先の見えない状況に変わりはありませんが、ルミナスの今年(2020年)の歩みと現在、来年に向けた思いなどをご紹介させて頂きたいと思います。
Ⅱ.まず、現在のご紹介から。2020年12月の練習実績と2021年1月の練習計画は次の通りです。
12/5(土) 休み
12/6(日) 横浜コーラルフェスト@横浜みなとみらい大ホールに参加
12/12(土) リアル練習@泉公会堂
12/19(土) 休み
12/26(土) リアル&リモート練習@フォーラム南太田大研修室
1/2(土) 休み
1/9(土) リモート練習
1/16(土) 休み
1/23(土) リアル練習@泉公会堂
1/30(土) 休み
ルミナス・コールは毎週土曜日、18時から21時が通常練習ですのでお休みが多いな・・・と思われるかもしれませんが、注目頂きたいのは「リアル練習」「リアル&リモート練習」「リモート練習」と言う区分で、私達は次のように定義しています。
リアル練習とは、団員全員が実際(リアル)に会場に集まって声を出してアンサンブル練習をする日です。この日は、公会堂などの広い会場を借りて、しかもステージ側ではなく、広い客席側を使って練習をします。ただし、後にも説明致しますが、ルミナス・コールとしてのコロナガイドラインを守って、ソーシャルディスタンスを保ち、マスクとフェイスシールドをして、30分毎に10分程度の換気タイムを設けて練習します。
次に、リモート練習ですが、これは団員が実際に集まることなく、ZOOMを使ってPCなどを経由してリモートで団員が集まり、練習の機会としています。この練習では、課題曲を団員が自宅などで歌い個人毎に録音したものをさらに多重録音して、あたかも合唱アンサンブルのようなスタイルに編集して聴きながら常任指揮者の小久保大輔先生にご指導頂くことと、小久保先生に楽曲に関するレクチャーをして頂く練習としており、なかなかユニークな取り組みではないでしょうか。
そして、リアル&リモート練習は、小学校や中学校の音楽室、地区センター、ケアプラザなどのような比較的狭い会場では、リアルに会場に集まって実際に歌える人数は10数人に限り、小久保先生の練習会場でのご指導と少人数アンサンブルの状況をZOOMやYOUTUBEで団員と繫ぎ、配信・共有して、リモートにも効果を得ようという練習です(リアル練習でも練習に出席できない団員にZOOMやYOUTUBEで練習状況を配信して共有しています)。
私達は団員がリアルに集まって歌う際の条件として日々の体調管理や除菌、ソーシャルディスタンス、換気などに関する制約(ガイドライン)を守って運営していますし、会場の広さに応じた出席可能人数も厳密に決めています。リモート練習やリアル&リモート練習は、そうした制約条件下だからこそ生まれた、ユニークな練習方法ではないでしょうか。
以上、ご紹介した「リアル練習」「リアル&リモート練習」「リモート練習」を骨格として、まず「リモート練習」で各自が音取りの確認をし、小久保先生の解説を得て頭で理解する。次に「リアル&リモート練習」で少人数で実際に歌ってみる。そして「リアル練習」で全員で歌い、1週は休む・・・。こうしたサイクルを基本パターンに、月4回(4週)の土曜日の練習を組み立てています(会場の都合で「リアル&リモート練習」と「リアル練習」が前後する場合がありますし、リモート練習の個人録音も原則として全員参加ですが、環境が許さない人にまで強制はしていません)。
また、コロナウイルス感染防止に関するリアル練習に関するルミナス・コールのガイドラインは次の通りです。
・自己の体調管理を厳しくおこない、直近2週間以内に発熱があったり、当日の体調がいつもと違う場合には、練習に参加しないこと。(そのためには、毎日の検温が必要です。)
・常に除菌剤を携帯し、自分のもの以外のものに触った手・指は、すぐに除菌する。(会場への交通手段の利用中も含む。)
・歌唱時は、フェイスシールドとマスクを併用する。
・歌唱時の隣人との距離は、左右2m以上、前後4m以上。
・練習(歌唱する)場所での飲食禁止。
・会話中はソーシャルディスタンス(2m、最低でも1m)を保ち、マスクをする。
・食事中の会話は禁止。
・練習中の窓・扉の開放、30分ごとに5~10分の換気休憩。
・会場の容積と換気量を踏まえ会場で歌える人数に制限を設ける。
以上のようなことを守って団員が集まって歌う際には練習していますし、去る12月6日(日)に、横浜みなとみらい大ホールで開催されたコーラルフェストに参加して、フォーレのレクイエムから、Agnus Deiを歌った際にもソーシャルディスタンスを保って広く並ぶ、フェイスシールドは外しましたが全員マスクをするなどして歌いました。
Ⅲ.さて、以上が現状です。なかなか窮屈ですし、客観的に見て「普通に合唱をしている」とは言い難い状況とは思いますが、私達はこれを現在できる精一杯の工夫として受け入れ、活動しています。しかし、その過程は平坦ではありませんでした。
時計の針を巻き戻すと・・・、ルミナス・コールは2021年4月29日(木)に予定している20周年記念演奏会に向けて、2月29日(土)、3月1(日)に強化練習を予定していた矢先の2月22日(土)練習、そして23日(日)の横浜コーラルフェストへの参加を最後に、練習休止となります。
理由はもちろん新型コロナウイルスの急速な感染拡大。4月には政府から緊急事態宣言が出され、人の声によるアンサンブルのために密接な状況が避けられず、飛沫拡散も伴う合唱活動は事実上休止、練習会場の貸し出しも受けられない期間が続きます。
この間、全国の合唱団それぞれに、様々なドラマがあったのではないかと思いますが・・・ルミナス・コールが練習を再開する7月4日(土)までの間の主な出来事を、団員の記憶(記録)も借りて紐解くと、次のような歩みがありました。
毎週土曜日の夜に通常練習をしている私達ですが、それがままならなくなった中でも「土曜夜のルミナス時間(習慣)を維持する」と言う思いから、5月の連休中より当時話題になっていたZOOM飲み会的なノリで、過去の演奏会の記録ビデオをZOOMで鑑賞しながら、小久保先生を交えて意見交換会(というか飲み会?)を毎週実施するようになりました。
そして、ZOOMで意見交換をしていく中で、小久保先生の「「こういう活動はできない」という考え方ではなく、「こういう活動ならできる」という発想に切り替えては・・・」と言うご意見も踏まえて、現在のリモート練習に繋がる「一人一人が自分のパートを歌い録音して一つの合唱に編集してみる」と言う活動が一部の有志から始まりました。5月末から6月末にかけて、「等圧線」(信長貴富作曲)、「世界に一つだけの花」、「栄光の架橋」、「ひとつの誓い」(小林武夫作曲)と回を重ねてゆく中、合唱練習の新しい可能性が見えてきたことから、7月からは公式リモート練習で「フォーレのレクイエム」に取り組むことに致しました。
また、この間の悲しい記憶として、アルトの団員のお一人が4月20日に急逝されました。4月26日の告別式会場で、ルミナスの元団員、小林先生が作曲してくれた愛唱歌の「ひとつの誓い」の演奏録音を流して頂くとともに、同時刻に小久保先生や団員有志が、ZOOMで「ひとつの誓い」を離れた場所からリモートで歌って時間を共有し、ご冥福をお祈り致しました。とても悲しい出来事でしたが、多くの団員がリモート合唱を通じて、離れた場所からでも思いが共有できる・・・と言うことに気づかされるきっかけともなりました。
Ⅳ.ルミナス・コールが練習を再開した7月4日(土)は、鶴見公会堂の会議室に集まり、小久保先生にもお出で頂いて「練習再開オリエンテーション」と言う形での再稼働となりました。
7月と言えば政府の緊急事態宣言が解除され、全国的に感染者が減少した、今から見ると新型コロナウイルス感染拡大の第一波が収束する時期。この時期にリスクの高い合唱活動を再開して良いのか、団員が集まれるのか、どのような練習とするのか・・・先が見えない中、役員会はもちろんZOOMで団員総会も開き団員の総意を確認しながら進めて参りました。この間の細かな事情は省略しますが、この時期におおよそ次のような方針を決めて活動を再開したと理解しています。
1.合唱団としての横浜ルミナス・コールは社会の公器。社会の規範を守って活動することはもちろん、自ら設定する新型コロナウイルス感染対策ガイドラインを守って活動する。
2.当面の活動は公会堂などの広い会場を使った全員練習と、ZOOMを使ったリモート練習の2本立てとする。※リアル&リモート練習は後にスタートすることとなります。
3.練習は再開するが、新型コロナウイルスへの対応は団員一人一人、家庭環境や仕事の状況に応じて異なるはず。従って、練習参加は強制せず、積極的欠席を認め欠席者に対する練習をサポートする(これが、毎回の練習状況のZOOMやYOUTUBEでの配信に繋がります)。
4.練習は再開するが社会環境が大きく変化したり、練習への団員の参加が半数を割る状況となり、団としての活動が保てなくなった場合には練習を休止する。
5.練習内容は、2020年4月29日(木)に予定していた20周年記念演奏会は一旦延期することとして、プログラムの中心としているフォーレのレクイエムから練習を再開する。※後に20周年記念演奏会は無期限での延期を決めました。
以上のような方針で活動を再開したルミナス・コールですが、当然様々な問題に直面します。
その一つが、休団者の増加。現在の状況は、長い目で見ればコロナ禍による一時的なものとして退団される団員はいませんが、休団を選択される団員はおられます。また、方針として「積極的欠席」も認めておりますのでリアル練習には参加せず、リモート環境のみでの参加と言う団員もおられます。休団の理由は様々ですが、演奏会もなくなり目標が持てない中、モチベーションが保てない。また、マスクとフェイスシールドをしてまで合唱をしようとは思わない・・・などもっともなご意見であり、活動を再開することの難しさを痛感させられました。
二つ目が、合唱団としての活動目標の共有と活動内容の設定。これは、前記した休団者の方のご意見の通りで、これまでは意識してきたか否かは別にして、年に一度の定期演奏会を活動の節目とし、目標として進めてきました。いまその目標がなくなり、定演の日程を決めようがない「無期限の練習時間」となった毎週の練習をどのようにして組み立て、団員のモチベーションを維持するのか。これは現時点での本質的な問題です。
三つめが、前記の活動内容とも関わりますが、団費の考え方をどうするのか。団費の水準や負担割合を変更するのか、と言った問題です。ルミナス・コールの団費はホームページにも記載の通り月額5,000円です。定演と言う具体的な目標のない中、先生方をお呼びするサイクルや費用のかかる練習会場の使用をどうするのか。また、費用をかけて行うリアル練習に参加できない団員の負担をどう考えるか。これは現実的な問題として、解決してゆく必要があります。
まず、現状の課題を先に上げましたが、この間に新たに発見したことや、新たな喜びを感じることも当然ありました。
一つ目が、練習を維持し、より良いものにするための団員自らの創意工夫と実践です。その目玉は・・・何度も取り上げてご紹介しましたが、リモート練習やリアル練習でもZOOMやYOUTUBEを使って練習状況を配信し共有できるようにする技術的な取り組みです。これは、「リモート推進隊」を自称?されるICTに明るいメンバーに自主的に進めて頂いている取り組みで、現時点で他にはちょっと例を見ない取り組みではないか・・・と思っています。
また、リモート練習の中でご紹介した、団員が個々に録音した歌の多重録音や編集技術も特出もので、これは常任指揮者の小久保先生とリモート推進隊の皆さんのご努力に負うところ大です。
こうしたリモート技術を駆使した練習形態は、合唱の世界でも進むのではないかと思われます。ルミナスのこのコラムに改めて我が団の専門家や推進者にご登場頂いて、もう少し詳しくご紹介頂ければと思います。
二つ目が、そうした練習が成果を上げているという実感です。何をもって成果を測るか・・・演奏会もありませんのでお客様の声など客観的に測る指標もありませんが、リモート練習で個々に音取りをし、小久保先生の解説を聞いて頭でも理解する。そして、全員で、また小グループでも歌ってアンサンブルしてゆくということを積み重ねて、おおよそ7月から11月までの5カ月間で、フォーレのレクイエム全曲の音取りからアンサンブルまでを仕上げることができました。
これまでは年に一度の定演を目指して、ともすれば歌えるようになったら終わるレベルの練習に留まっていたところ、幸いにして?時間がたっぷりありますので、丁寧に練習ができていると言うことだと思います。また、マスクやフェイスシールドをつけたままでの演奏であり、密接を避けお互いに距離を取っての練習ですのでアンサンブルしづらいわけですが、それがかえってお互いの声を聴き合おうと言う効果に繋がっているのではないかと思います。
三つめが、こうした状況でも新たに入団して頂ける方や、見学に来て頂ける方がおられると言うことです。これは大変うれしいことでして、先に書いたような苦労はあるわけですが、自分達なりに方針とルールを決めて活動をしているからこそであり、現在の考え方と取り組みを大切にしてゆきたいと思います。
Ⅴ.以上、横浜ルミナス・コールの2020年の歩みを記しました。
このコラムでは通常は将来の取り組みを書いて閉じるのですが、これまた今回のこのコラムのもう一つのテーマである新型コロナウイルスの状況いかんで、良くも悪くも変更を余儀なくされる毎日であることに変わりありません。
私達の方針として、「社会の公器として社会の規範を守って活動する」と申し上げました。4月頃のように緊急事態宣言が出て合唱活動ができない場合は活動を休止するしかないわけですが、「自主的な判断」に委ねられている状況の中で、どのような活動を選択するのかは大変難しい問題です。だからこそ、いまもまだ練習を再開していない合唱団もおられるのだと思いますし、ルミナス・コールの中にもリアル練習に慎重な声があります。
新型コロナウイルス感染の第三波の中にあって、日々感染者が過去最高を更新する中で、どのような判断をしてゆくのかは予め決めようがありません。しかし、はっきりしていることは、これも方針の中で決めた通り、「団員の過半数の信認が得られない活動はしない」と言うことです。悩んだり迷ったりしたら、団員の総意で決める。昔から総会好きな?ルミナスの伝統かもしれません。
そして最後にもう一つ。先に悩みの一つとして、定演と言う目標がなくなり、「無期限の練習時間」となった毎週の練習の中で、どのようにして団員のモチベーションを維持するのかと言うことを申し上げました。それもいま答えが出る問題ではありませんし、そもそもモチベーションなるものは他から動機付けられるものではなく自ら持つもので、個々の団員の心の持ちようだと言うしかない、とも言えます。この点、12月に行った役員会で当面の活動方針について、次と決めました。
<課題>
「良い音楽創り」を目指し達成するために演奏会を開催するという団規約になっているが、演奏会開催が見込めないなかで活動方針をどうするか。
<結論>
当面は合唱団としてのアンサンブル力を伸ばし、実力を蓄えることを目指して合唱活動を継続する。
ルミナス創団の志。それを私は、このコラムシリーズの最初に、「歌う自分と、仲間と、聞く人に感動をよぶ、本当に良い音楽をすること」と言いました。
いま読み返すと余りに理想主義的で面映ゆい・・・気が致しますが、迷ったら初心に返るしかありません。この初心に照らして考えると、無期限に練習ができることはそれ自体幸せなことではないでしょうか。
ルミナス・コールの練習計画として2月からは、ラインベルガー作曲のGdurのアカペラミサ(作品151 Missa St. Crucis)に取り組みます。KyrieからAgnus Deiまで6曲からなるフルセットのミサ曲で、これからおおよそ6カ月かけてこの名曲に取り組みます。こう考えると何とも楽しみです。
このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ練習会場にお運び頂き、練習風景をご覧頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので覗いてみて下さい。お待ちしています。
以上
2019年3月時点での過去、現在そして未来
技術委員長 安井 勲
2019年4月14日(日)、戸塚区民文化センター(さくらプラザ)で、18回目の定期演奏会を行います。
昨年に続いて、千葉県岩井海岸のベイサイドイン「ごんべえ」で1月26日(土)、27日(日)の2日間、合宿練習を行い、
3月に入って最終ステージとなる企画ステージの内容も決まり、今年の演奏会の全貌が見えて参りました。
年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムで、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、
今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年も常任指揮者 小久保大輔先生の指揮により、後期ドイツロマン派の作曲家ラインベルガーのア・カペラ(無伴奏)ミサ曲、
三善晃さんの混声合唱曲集「木とともに 人とともに」、源田俊一郎さん編曲の「混声合唱のための ホームソングメドレー第1集から<イギリス編>」、
そして企画ステージをお送り致します。
ア・カペラ宗教作品、邦人作品、企画ステージと言う三つの柱は、数年前から取り組んでいる私たちの活動の一つの型。
今年は、第2回定演でバードの「四声のミサ」を取り上げて以来の本格ミサ曲と、20世紀の掉尾を飾る三善さんの手になる名曲、
ピアノの無窮連祷による混声合唱曲「生きる」を含む「木とともに人とともに」を取り上げるとともに、
プログラムの後半は源田さん編曲のイギリス民謡の編曲集、そして最後の企画ステージでは信長さん編曲による
1970年代の日本のフォークソング・ポップス集をお送りします。
さらに今年もルミナスの元団員で気鋭の作曲家 小林武夫さんから新作も頂き・・・、
これまで続けてきたコンクールへの出場を休止し、定演に向けた活動に集中したこの1年間の成果をお客様とどこまで共有できるかを確認する大事な演奏会です。
第1ステージは、後期ドイツロマン派の作曲家 ヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー(1839年-1901年)作曲の
「Missa Brevis in F op.117」(ミサ・ブレビス)を演奏します。
ラインベルガーは、スイスとオーストリアに囲まれた中央ヨーロッパに位置する君主制国家であり、
当時はドイツ連邦に加盟していたリヒテンシュタイン(現リヒテンシュタイン公国)の首都ファドゥーツに生まれ、
ドイツ帝国のミュンヘンに没した作曲家、オルガン奏者、指揮者であり、とりわけ教育者として有名な存在でした。
5歳から音楽教育を受け、7才でファドゥーツの聖フローリン教会のオルガン奏者となり、この頃、既に最初の作曲を行ったと言います。
1851年にミュンヘン音楽院に入学。専攻はピアノと音楽理論、オルガン奏法も師事。1859年には同音楽院のピアノ演奏の教師と、
同じころ聖ミヒャエル教会のオルガニストに就任。翌年作曲、和声、対位法、音楽史の教授に就任。
1864年の秋にミュンヘン音楽院が再建されると、オルガンと作曲の教授となり、終生その地位にありました。
音楽教師として非常に優秀だったため、ヨーロッパやアメリカから彼を慕って生徒が集り、多くの高名な教え子を輩出しており、
後に大指揮者となるフルトヴェングラーの幼少期に家庭教師をしていたこともあったと言います。
作曲家としてはオルガン曲が有名で、20あるオルガンソナタは彼の代表作ですが、
そのほかに宗教曲、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲にも多くの作品を残しています。
とりわけ、合唱曲では、「3つの宗教的な歌 op.69」の第3曲「Abentlied(夕べの歌)」は大変美しい作品で、小品ながらよく知られています。
ラインベルガーは生涯に14曲(1曲は未完)のミサ曲を残し、そのうち3曲は女声合唱とオルガンのために書かれています。
ラインベルガーが39才のときに作曲した「ミサ曲 変ホ長調 op.109 (Cantus Missae)」は、近代ミサ曲の中でも名作の一つに挙げられる作品です。
本日演奏するミサ・ブレビスが創られたのはその2年後の1880年、41才のときの作品。作曲家として脂の乗りきっていた頃の作品です。
「ミサ・ブレビス」(通常はCredoを欠く小ミサ)とのタイトルですが、Credoを含むミサ通常文の全てに付曲されています。
また、このミサ曲は、「Missa in honorem Sanctissimae Triniaris」(聖三位一体を敬う)というタイトルも持っており、簡潔でア・カペラの書法による禁欲的な響きの彼方に、ラインベルガーの敬虔な宗教心がよく表現されています。
ワーグナー(1813年-1883年)、ブルックナー(1824年-1896年)、ブラームス(1833年-1897年)、マーラー(1860年-1911年)と言った有名作曲家たちと同年代を生きたラインベルガー。
音楽院教授としても活躍したミュンヘンは、それまで歌唱が中心だったオペラから、オーケストラ音楽と劇が緊密に結びついた斬新な形式を作りあげ、「楽劇王」の名で知られるワーグナーの本拠地でしたが、ラインベルガーの作風には伝統を重んじる保守性が感じられます。
そのためか彼の死後、作品は急速に忘れられて行きますが、生誕150年を迎えた1989年ころを境に、演奏や出版による再評価が進み、近年は復権を果たしています。
第2ステージは、谷川俊太郎さん(1931年-)の詩に、三善晃さん(1933年-2013年)が曲を付けた、混声合唱曲集「木とともに 人とともに」を演奏致します。
三善さんは、日本を代表する作曲家。声楽曲、器楽曲、管弦楽曲、電子音楽、現代邦楽など作品は多岐にわたり、国内、海外を問わず多くの作品が受賞されています。幼少期からピアノと音楽基礎を学び、小学校に上がる頃からはヴァイオリンと作曲も学び、東京大学文学部仏文科在学中の1955年から1958年にはパリ国立高等音楽院に留学したといいます。1960年に東大仏文科を卒業し、1963年に東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授に就任され、後に桐朋学園大学長となり、教育者としても尽力されます。
三善さんの作品は、彼の内側から湧き出たままであるかのような、自然で自由な佇まいを有していますが、しかしその中には古典的な構成が内蔵されている凄さがあります。壮快で鋭いリズム、冷酷さから詩的な情緒が漂う優美さを想わせるまでの幅広い和声、緻密な動機の展開などが特徴であり、2000年代からは作品のほとんどがピアノと合唱でした。その合唱音楽の世界では、彼を境にその書法が歴然と変化したといわれており、後進の日本の作曲家に与えた影響は計り知れないものがあります。
谷川さんは、日本を代表する詩人であり翻訳家、脚本家。彼の作品は教科書に掲載されているだけでなく、多くの国々でも翻訳されて紹介されており、いまや世界的な詩人です。谷川さんは、詩集「二十億光年の孤独」でデビューして以来、80冊以上の詩集を出版されており、彼の作品は、日本語による言葉遊びのような面白く刺激的な作品や、平易な話しことばや会話で読みやすいのに深い共感を覚える作品が多数あります。
谷川さんの詩に三善さんが曲をつけた作品は多く、作品リストによれば、混声・男声・女声・同声合唱合わせて16曲あります。
横浜ルミナス・コールでは過去に2回、三善作品を取り上げており(第1回演奏会:混声合唱とギターのための組曲「クレーの絵本 第1集」、第11回定期演奏会:混声合唱組曲「五つの童画」)、「クレーの絵本」も三善、谷川コンビによる作品です。
本日演奏する混声合唱曲集「木とともに 人とともに」は、それぞれ別々の機会に創られた「木とともに 人とともに」、「空」、ピアノの無窮連祷による混声合唱曲「生きる」の3曲を一つの曲集に編んだ作品集です。
「木とともに人とともに」は、1999年11月の東京文化会館主催の第1回合唱の祭典「上野の森コーラスパーク」のテーマ曲として、谷川さんの書き下ろした詩に作曲されました。
三善さんは楽譜の表紙に次のように言います。「人が集い、出会い、ともに生きようとするとき、言葉を超えた歌の渦が沸き起こる。巨きな宇宙と無数の日常。ともに歌うそのすべての象徴を上野の森の緑に求めた。集う仲間には子供たちもいる。そのため、原曲のア・カペラのほかに、ピアノと童声の譜を書き加えた」。
「木とともに私は歌う」と言う言葉からは大自然や宇宙という無限の命を、また「人とともに私は歌う」という言葉からは人の営みや無数の日常という生を。そして、「声よ沸け」という言葉からは生命の迸りを、「木とともにあなたとともに私は歌う 緑なす森になるまで」、「歌声の星座めざして」という言葉からは、「巨きな宇宙と無数の日常」が混然一体となった歓びのようなことを感じます。
三善さんが子供たちによる童声合唱も加えた楽曲にしたことには、単に式典で演奏される大きな作品であることを意図したことを超えて、未来への希望や命の循環、輪廻転生・・・音楽の性質は違いますが三曲目の「生きる」に通じる無窮連祷(尽きることのない祈り)のようなことも感じます。
「空」の原曲は、谷川さんの「歌のように」(The Gold誌掲載)から作曲した独唱のポップス曲の一つ。
これを1997年1月の合唱団「松江」’97の委嘱で合唱曲に編曲した作品です。三善さんは言います、「日常の翳(かげ)や窩(あな)によどむもの。だが、そこに、なんと切ない真実の愛が、心の耳にしか聴こえない歌を歌い続けていることだろう。この曲は2000年の合唱団「松江」でも歌われたが、このときの「テーマ」が「いのちのうた」。その第1ステージで、この曲は「いのちの愛」あるいは「愛のいのち」の歌として歌われた。「さびしさは生きている証し」と」。
「いつも一緒にいたい」とか「さびしさは甘えじゃない/さびしさはふたりで生きている証」という言葉に対比される「かたわらにいないと/あなたはもうこの世にいないかのようだ」とか、「顔を見ていないと/あなたはお墓のなかに入っているみたい」「天国でよりもあなたとは地獄で会いたい」という言葉には「狂気」すら感じます。
喜びと悲しみ、愛と憎、生と死・・・そうした一見真逆に思える感情は隣り合い、振れ合ったり行き来したり、あるいは一方の感情が突き抜けたところに他方の感情があるのか・・・など、考えさせられる詩です。
ピアノの無窮連祷による混声合唱曲「生きる」は、1999年の大晦日午後から2000年元旦にかけて作曲された。
三善さんは言います、「1900年代最後の日、逝った友人たちを想いながらビアノを弾き続けているうちに、その音の流れのなかに谷川さんの詩句が聴こえてきた。ここに謳われるこの世の風景を、彼岸の人々はもう見ることはできず、その彼岸を私たちはまだ見ることができない。だが、死者と生者の間を隔てているのは鏡のようなもので、その両側には二つの世界が照応しているように、今は思われる。
この世の悼みと祈り、あの世の記憶と安らぎが、その鏡の両面に、手を合わせるように映ってるのではなかと。「いのちのうた」をテーマとした、合唱団「松江」2000の最後のステージで初演された」。
この詩は教科書にも載る大変に有名な詩ですので、多くの方がネット上などに解説を上げられています。そした情報を踏まえつつ、詩の内容に触れてみたいと思います。
「生きる」と言う詩は五連で構成されています。
第一連では、「生きているということ」の具体的な事例として、のどがかわく、木もれ陽がまぶしい、あるメロディを思い出すなどがランダムに挙げられています。「生きているということ」の具体的な事例として、生理的な五感(視覚、触覚、聴覚など)の事柄を中心に列挙しているように思われます。「あなたと手をつなぐ」は、単なる触覚事例として挙げているようでもあるし、隣人愛とか連帯とか平和とかの広義な意味も含めて書いてあるようにも思われます。
第二連では、美しいもののことが書いてあります。その事例としてミニスカート、プラネタリウム、ヨハン・シュトラウス、ピカソ、アルプスが挙げられています。世の中には美もあれば醜もある。美や善の顔をした行為の中に醜や悪の牙が隠されていることも多くある。見た目の美しさの中に巧妙に仕掛けられた悪や醜もある。悪の誘惑に負けない、悪を発見する能力、悪を断固として拒絶する勇気が必要だ。こうして「美しいもの出会う」ことが重要だ。この連では、これが「生きているということ」だと書いているように思われます。
第三連には、「泣ける」「笑える」「怒れる」「自由」の四つの事例が挙げられています。「泣く」という単なる事実ではなく、「泣ける」つまり「泣くことができる、泣くことが容易に実現できる」という、人間主体が能動的、自発的に心から自分の感情の発露ができるという、これらの感情の発露が、社会的権利として保障されていることの重要性、つまり「自由ということ」の社会的基盤が保障されていること、これらの重要性のことをいっているように思われます。
第四連には、「犬がほえる」「地球がまわる」「産声があがる」「兵士が傷つく」「ぶらんこがゆれる」「今が過ぎていく」の事例が挙げられています。すべての事例に「いま・・・」が付けられています。「今の今を生きているということ」とは、すべての事実や事柄は悠久の時間の流れの中にあること、一瞬一瞬の時間の流れの一コマ一コマの時間系列の中に位置づいていることを言っているように思います。ここに書いてある一つ一つの事実や事柄は、悠久の時間の流れの中の一コマ一コマであって、そのことをクローズアップした例として書いているようです。今の今のいのちを精一杯に生きる、その大切さを強調しているように思われます。
第五連には、「鳥ははばたく」「海はとどろく」「かたつむりははう」という人間以外の「生きているということ」の事例が挙げられています。人間以外にも「生きているということ」の事実があるのだ、ということを知らせているのでしょう。最後のまとめとして、「人は愛するということ/あなたの手のぬくみ/いのちということ」と書かれています。「他者を愛する」ことが大切であり、あなたの心温かな愛の手を差しのべることが人間として最も大切な行為であり、それが「いのち」を大切にするということにつながるのだと言っているように思います。人間は多くの他者との社会的関係の中で生きているのだから、人間相互に間主観性としての共通感情(個々人の主観や感情を超えた、より大きくて普遍的な主観性や感情)を持ち、いのちの尊厳を大切に生きていくことが重要だ、そのように生きていこう、と訴えかけているように思われます。
無窮連祷とは尽きることのない祈りの意味。この作品は冒頭に現れるピアノのモチーフが全編を通じて支配し尽きせぬ祈りが繰り返され、最後にその祈りは聞くもの、歌うものの心の彼方に消えてゆく。三善さんはこの曲集に、「谷川さんと、すべての「いのち」のために」とメッセージを添えています。
第3ステージは、源田俊一郎さん編曲による、混声合唱のための ホームソングメドレー第1集から<イギリス編>を演奏致します。
本日演奏する「ホームソングメドレー」イギリス編は、「アニーローリー」、「グリーンスリーブス」、「ロンドンデリーの歌」の3曲がメドレーになっています。
1.アニーローリー : スコット 曲 : 藤浦洸 訳詩
この曲は代表的なスコットランド民謡として知られる楽曲です。マクスウェルトン卿のサー・ロバート・ローリーの末娘として1682年に生まれたアニー・ローリーは、スコットランド中に知られた美人だったと言われています。詩は1700年ごろに地元の郷紳(ジェントリー)ウィリアム・ダグラスによって書かれたもの。ダグラスはアニー・ローリーに結婚を申し込みましたが、歳の差や氏族間の対立などで結ばれなかった。アニー・ローリーは、1710年にクレイグダーロックの領主アレクサンダー・ファーガソンのもとに嫁ぎ、約33年間幸せにそこで暮らし、彼女のために大邸宅が建設され、彼女の好みで作られたという庭園も残されていると言います。
曲は1838年にスコットランドの女流音楽家ジョン・ダグラス・スコット夫人(1810-1900)が作曲。1854年のクリミア戦争で、未亡人や孤児となった人たちへの慈善活動のために出された歌集にこれが載せられたことから、軍楽隊も演奏するようになり、広く知られるようになる。戦地の兵士たちもこの歌を口ずさみ、故郷にある大切な人をしのんだと言われます。
2.グリーンスリーブス : イングランド民謡 曲 : 三木おさむ 詩
伝統的なイングランドの民謡で、ロマネスカ(4度または5度の跳躍進行を重ねながら次第に下降していく音型)と呼ばれる旋律を持つ有名な曲です。エリザベス朝の頃、イングランドとスコットランドの国境付近の地域で生まれたと言われていますが、その起源は厳密には分かっていません。後にイギリスの現代作曲家ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズが、この旋律にフルートとハープを伴った気品に満ちた上品な弦楽合奏用の 「グリーンスリーヴスによる幻想曲」 を作り、さらに有名になりました。
この歌は16世紀半ばまで口頭伝承で受け継がれ、17世紀にはイングランドの誰もが知っている曲となったと言います。広く流布している伝説によれば、ヘンリー8世(1491年-1547年)が、その恋人で後に王妃となるアン・ブーリンのために作曲したというものがある。トマス・ブーリンの末娘であったアンは、ヘンリーの誘惑を拒絶した。この拒絶が歌の歌詞のなかに織り込まれていると解釈できると言います。
また、愛を表現するために騎士と袖を交換するエピソードは騎士物語によく登場し、とくにグリーンは愛の色とされていた。「グリーンスリーブス」とは緑色の衣服をまとった女性のことで、ここでは宮廷恋愛の対象である高貴な既婚女性の匿名ではないか、という説もあります。
3.ロンドンデリーの歌 : アイルランド民謡 曲 : 津川主一 訳詩
ロンドンデリーは、イギリス・北アイルランド第二の都市で、単にデリーとも呼ばれる、フォイル川河口に位置する美しい港町。イングランドによるアイルランド占領後、ジェームズ1世がロンドン商人の組合に、この地への植民を許した(1613年)ことから、ロンドンデリーと呼ばれるようになった。アイルランド人は、デリーにロンドンをつけて呼ばれることに、民族的感情をいたく傷つけられたと言います。
この歌の原曲とされているのは、1796年にE・バンティングが編んだ曲集に載っている「Aislean an Oigfear(アッシュリン・アン・オール)」であると言われますが、その後曲名が忘れられ、単に「ロンドンデリー地方で歌われている曲」、または「ロンドンデリー地方で採集された曲」を意味する「ロンドンデリー・エア」として伝えられてきました。この歌にはさまざまな歌詞が当てられましたが、その一つにこの曲集でも取り上げている、旅立ったわが子に対する母親の思いを歌ったものがあります。日本では津川主一さんが語詞をつけており、こちらのほうがよく知られています。
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のステージタイトルは、「混声合唱とピアノのための出発(たびだち)の歌-1971年生まれのポップ・ソング-」。現在、大活躍中の作曲家、信長貴冨さんの生まれ年である1971年に流行したポップソング5曲(翼をください、花嫁、虹と雪のバラード、戦争を知らない子供たち、出発の歌)の編曲集。いずれも世代を越えて歌い継がれている作品で、今なお色褪せない名曲たちです。
大空駆けて旅立ちたいと願う「翼をください」、故郷の丘に咲いていた野菊の花をトランク一杯に詰めて愛する人の下に旅立つ「花嫁」、平和の祭典である札幌オリンピックの開催に沸き立つ日本、選手たちの躍動を歌う「虹と雪のバラード」、そこから一転して平和や豊かさを謳歌する日本の底に漂う不安や危機感・・・を伺わせるような不気味な編曲を伴った「戦争を知らない子供たち」、そしてたとえ街が廃墟となり、愛も壊され、絶望に耳をふさぎたくなったり、自由が奪われようと銀河の向こう、宇宙に、未来にまでも飛んで行け。心に翼をつけて旅立とうと歌う「出発(たびだち)の歌」。一見ランダムに見える選曲、オーソドックスな編曲に思える曲集ですが、そこには信長さんの意図の感じられる味のある曲集です。
さて、実はこれらの原曲を知らない若い・・・団員も多いルミナスですが、昭和の香り漂う?往年の名曲たちの編曲集を、私達なりの味付けでお送り致します。今年の趣向は・・・ぜひ会場にお運び頂いてご確認下さい。
さて、今年の定演は、冒頭にも書きましたが、これまで続けてきたコンクールへの出場を休止し、定演に向けた活動に集中したこの1年間の集大成の場。お客様とどこまで一つ一つの音楽の意味を、思いを共有できるかが問われる大事な演奏会だと感じています。例年8月までの期間を費やしているコンクールへの参加を今年は見合わせて、もう一度じっくり声づくりとアンサンブルづくりに取り組み、時間をかけてルミナスサウンドを見直すことに取り組んだ一年。たった一年でどこまで変われるか、どこまで変わるのか・・・の思いも率直に言ってありますが、されど一年と言う時間は決して短くはありません。最後まで練習を重ねて、何らかの手ごたえのある演奏会にしたい、そう願っています。
さて、そうした試行錯誤をまだまだ続けていますが、次年度もコンクールはお休みをして、音楽と向き合って行きたいと考えています。年間の活動をどのように充実したものにするか・・・は検討中ですが、今年も良い音楽を題材として活動すべく、選曲は既に決めました。来年のプログラムをご紹介致しますと次の通りです。
① ヨーゼフ・ラインベルガー作曲、「ミサ曲 ト長調 op.151 Missa St.Crucis」。
② 信長貴富作曲 覚和歌子の詩による混声合唱曲集「等圧線」。
③ 源田俊一郎編曲、「混声合唱のためのホームソングメドレー1」からドイツ・オーストリア編。
④ 企画ステージ テーマは「オリンピック」です。
そして、7月7日(日)には、東京都内を拠点に活動を続けられており、ルミナスの常任指揮者である小久保大輔先生が指揮をされているラスベート交響楽団の設立20周年記念公演が開かれ、そこに横浜ルミナス・コールとして賛助出演させて頂くこととなりました。この日はラスベートさん(ロシア語で「夜明け」の意味)お得意のオールロシアプログラムで、ボロディンのオペラ「イゴーリ公」から「韃靼人の踊り」と、チャイコフスキーの祝典序曲「1812年」の前後に、オーケストラの伴奏でロシア正教歌を歌わせて頂きます(この演奏会では、あの有名なラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のピアノソロを、ルミナスのピアノも弾いて頂いている清水新先生が弾かれます)。
オーケストラとの共演は初めてで楽しみですが・・・音のボリューム感も必要であり、心してかからねばなりません。出演団体は横浜ルミナス・コールとはしておりますが、ボイストレーナーの永澤麻衣子先生、常任指揮の小久保先生ゆかりの合唱団員の方々にも一緒に歌って頂く予定です。ルミナスとしても、「オーケストラと歌えるこの機会だけでも参加してみたい」と言う賛助団員を大募集します。ルミナスのホームページに参加要領などを掲載する予定ですので、ご興味ある方はご覧頂き、奮ってご参加下さい。
ルミナス・コール今年度の活動は最終盤に向かいます。そして、4月14日(日)の18回目の定期演奏会を終えたら、次の節目である20年目となる20回定演も見据えながら、新たな活動が始まります。
このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
以上
2018年2月時点での過去、現在そして未来
技術委員長 安井 勲
2018年4月15日(日)、鎌倉芸術館小ホールで、17回目の定期演奏会を行います。
関東地方に降った4年ぶりの大雪の週末、1月27日(土)、28日(日)の2日間、すっかり晴れ渡った千葉県岩井海岸のベイサイドイン「ごんべえ」で、定期演奏会に向けた久しぶりの合宿練習を行いました(2014年3月の本コラムをご覧下さい。雪の三浦海岸での春合宿の記録・・・があります)。今年の演奏会の全貌も見えてきましたので、年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムで、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年も常任指揮者 小久保大輔先生の指揮により、ルネサンス期のアカペラ(無伴奏)・ポリフォニー(多声音楽)の宗教作品、木下牧子さんの「アカペラ・コーラス・セレクション―混声合唱のための」から、千原英喜さん作曲の「混声合唱とピアノのための 良寛相聞」、そして企画ステージをお送り致します。アカペラ宗教作品、邦人作品、企画ステージと言う三つの柱は、数年前から取り組んでいる私たちの活動の一つの型。今年は昨年に続いてパレストリーナの有名モテットと人気作曲家 千原さんの合唱作品。そして、久しぶりに木下さんのアカペラ作品と信長さんの編曲物を取り上げます。さらに今年もルミナスの元団員で気鋭の作曲家 小林武夫さんから新作も頂き、ルミナスの新旧を現し次年度以降の変化へとつながるエポックな・・・演奏会です。
第1ステージは、ルネサンス期(14-16世紀)の大作曲家 ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(1525年頃-1594年)作曲の名作モテットSicut cervus(泉の水を求める鹿のように)、Sitivit anima mea(私の魂は欲している)を演奏します。
この2つのモテットは別々に作曲された独立したモテットですが、旧約聖書の詩編42の第2節をテキストとして作られたのがSicut cervus、第3・第4節をテキストとして作られたのがSitivit anima mea。通常、Sicut cervusと言うと前者を指しますが、2曲を通してSicut cervusと言うこともあります。昨年、ルミナスはSicut cervusを取り上げました。今年はSitivit anima meaも取り上げ、2曲を通して演奏します。パレストリーナについては昨年もこのコラムでご紹介いたしましたので、次に再掲します。
「パレストリーナは、ルネサンス末期のイタリアの作曲家。当時のイタリアの宗教音楽は、フランドル楽派の作曲家によるポリフォニー作品で占められており、それらの作品は余りに技巧的で複雑で、歌われている歌詞は聞き取りにくい。加えて、愛や恋を歌った世俗音楽を定旋律とするなど、ミサの中の典礼音楽としてふさわしくなかったと言います。そのような中、マルチン・ルターによる宗教改革が行われ、対抗する側として内部改革を迫られたカトリック教会は、宗教音楽についても見直しをせざるを得なくなった。そのような時代に活躍したのがパレストリーナであると言われます。
1565年、カトリック教義における音楽の位置づけを話し合うトレント公会議で歌われたと伝えられる、彼の「教皇マルチェルスのミサ曲」は特に有名で代表作の一つ。簡潔で歌詞が明瞭に聞き取れるこの作品が、宗教音楽の世界でのポリフォニー様式の復権を果たしたと伝えられます。」
詩編42は続く43と併せて読まれることが多い。この詩の主人公は、故郷エルサレムを遠く離れたシリアのヘルモン山の南部にある地域まで不当に追放され、彼の地から「神への渇望」を詠みます。しかし、第一部のSicut cervusは、そうした激しい感情は伺わせず、終始美しく穏やかな順次進行の旋律が4パートで絡み合い、喉の乾いた鹿が水を求めて水辺に集まってくるテキストの情景を写実的に描写します。
第二部のSitivit anima meaは「私の魂は渇望する」とタイトルにあるように情熱的で、第一部とは対照的に音程の大きな跳躍を伴う力強い上行旋律でポリフォニックに始まります。そして、神を思う主人公が「涙」する様を描く中盤はハーモニーの色合いが変わり、はっとするほどの美しさを湛え、遠く異邦の地まで引き離した敵から「お前の神はどこにいるのか」と辱めを受ける最後は、4パートが縦に揃った和声的な音楽で力強く締めくくられます。
激しい感情を詠んだ詩の内容をくみ取り、抒情と叙景をパレストリーナらしいバランス感覚と上品さで謳い上げるこの作品は、まさにポリフォニー様式を活かし切った白眉です。
Sicut cervus 鹿が泉の水を求めるように
Sicut cervus desiderat 鹿のように
ad fontes aquarum: 泉の水を求める
ita desiderat anima mea そのように私の魂は
ad te, Deus. 神よ、あなたを求める
Sitivit anima mea 私の魂は渇望する
ad Deum fortem vivum: 強い命の神を
quando veniam et apparebo いつ私は出ることができるのだろう
ante faciem Dei? 神の御前に
Fuerunt mihi lacrymae meae 私の涙は私にとって
panes die ac nocte, 昼も夜も生きる糧だった
dum dicitur mihi quotidie: 日々人が私にこう問うとき
Ubi est Deus tuus? おまえの神はどこにいるのか?
Psalm 41(42):2-4 詩編41(42)章2-4節
第2ステージは、木下牧子さん作曲の「アカペラ・コーラス・セレクション―混声合唱のための」から「おんがく」、「鷗(かもめ)」、「44わのべにすずめ」の3曲を演奏します。
木下 牧子さん(1956-)は管弦楽、吹奏楽、室内楽、声楽、合唱など幅広いジャンルで活躍する、日本の作曲家。木下さんと言えば、東京藝術大学在学中に作曲し鮮烈なデビュー作品となった混声合唱組曲「方舟」、続く混声合唱組曲「ティオの夜の旅」が有名です(「ティオ」はルミナス第2回の定演で取り上げました。もちろんこの2曲以外にも素晴らしい作品がたくさんあり、数え上げれば限りがありません・・・)。
合唱作品の世界で長く活躍する木下さんですが、若い頃は「オケにしか興味」がなかったと言います(藝大作曲科時代、オーケストラ作品で学年一位、吹奏楽連盟の課題曲公募入選、日本音楽コンクール(管弦楽部門)入選など声楽以外のジャンルでも多く受賞しています)。
木下さんを合唱界に引き込んだのは藝大同窓の声楽家であり指揮者の鈴木成夫さん。先の2曲を始め、多くの木下作品が、鈴木さんの指揮する東京外国語大学混声合唱団コール・ソレイユにより委嘱され生み出されています。
「おんがく」は、1984年に詩人まど・みちおさんが書いた詩に、木下さんが曲をつけた作品。1995年11月に出版された「うたよ!」と言う混声合唱曲集に収められています。
まどさんは、1909年に生まれ2014年に亡くなられ、103才の長寿を全うされました。「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」「一年生になったら」などの、大らかでユーモラスな童謡の作者として親しまれていますが、太平洋戦争に召集された経験を持ち、詩作の源泉は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満であったと言います。まどさんは、表現の前に存在があると言う意味で、「存在の詩人」とも称されました。
木下さんは、「おんがく」は大好きな詩だと言います。「うたよ!」の冒頭に、「まど作品にはめずらしく、どことなく官能的な雰囲気がある。(「うたよ!」の曲の)5曲中唯一のア・カペラで、音楽的にも一番大人っぽいが、こわがらずに、ぜひ歌ってみてほしい。ピアノに頼れない分、お互いの声を聴き合ういい練習になるはず。」と言います。
まどさんはクリスチャンですが、宗教者の本音と建前の違いなどに嫌気がさし、宗教から遠ざかり自らを「無宗教者」だと言っていたそうです。ですから、「おんがく」の最初に出てくる「かみさま」は具体的な宗教の神さまではなく、まどさんが言う「人智を越えたある大きな力、宇宙の意志のようなもの」、それが「かみさま」です。
まどさんは、「音楽」を聴くのではなく「おんがく」を見ると捉えます。五感全てを使って物事の本質を捉えるのがまどさんの詩作の特徴、特に視覚的イメージを大切にすることが多いと言います。だから、「おんがく」を「みる」と言い、「みみをふさいで」ながめ、「目もつぶって」顔をよせて香りを楽しむのでしょう。そして、おんがくとは無関係と思われる味覚も使って、「口にふくんで まっていたい シャーベットのように 広がってくるのを」とくる。感覚的で、かつ誰もが実感出来る具体的な表現です。
まどさんは「ほほずり」と言う言葉をたくさん使うことから「頬ずりの詩人」とも呼ばれ、「おんがく」にも「ほほずりしたい」と言います。美しい物を慕い、思わず「ほほずり」したくなると言うまどさん。「おんがく」を全身で、全感覚で受け止めたいと言う思いが感じられます。
そして、「そのむねにだかれて」と言う言葉によって、「おんがく」が自分より大きなもの、自分達を受け止める包容力のある、偉大な存在のように思わせてくれます。
この詩のタイトルは「音楽」ではなく、「おんがく」とひらがなになっています。「おんがく」であることが、「音楽」と言う音を楽しむものと言う制約を取り除き、「おんがく=聴く」だけではないと教えてくれているようです。
「鷗(かもめ)」は詩人の三好達治さんが、終戦直後の昭和21年(1946年)に出版した詩集「砂の砦」に所収された詩で、1993年に作曲されました。
題名は「鷗」ですが、歌詞には「鷗」と言う言葉は入っていません。「鷗」は「彼ら」と言う言葉に置き換えられています。「ついに自由は彼らのものだ」が、12回も繰り返され、多くの命を奪った戦争が終わった直後に書かれたこの詩には様々な解釈があります。
その一つが、戦時中、家族を養うため職業詩人として戦争賛美、戦意高揚の詩を書いていた三好さんが戦後に自らを悔い、戦争に散った若き英霊達の魂を鷗に見立てて詠った反戦平和を祈った詩であると言う解釈です。そう考えると「砂の砦」と言う詩集のタイトルも意味深く感じられます。三好さん自身は、神国日本を信じる国粋主義者と言うことではなかったそうです。旧制高校の学徒出陣のはなむけとする講演会に招かれた三好さんは、「なぜ君たちのような若者が戦場に行かなければならないのか」と言って号泣し、しばらく話すことが出来なかった、とも伝えられています。
鷗の白い姿は、旧制高校生が夏に着た真っ白な夏服(白ラン)を指していると言われます。学徒動員され、ついに戦場に散っていった無数の若者たち。戦死することによってしか自らの運命から逃れられなかった若者たち。洋上に舞う白い鷗たちの姿に、三好さんは若者たちの魂を見たのではないかと解釈されます。
もう一つの解釈は、「鷗」に三好さんが反戦的な意味を込めた確証はなく、昭和20年6月に至っても「干戈永言」(かんかえいげん)と言う戦争詩集を発表している。「鷗」が所収された「砂の砦」には、敗戦後の混乱から立ち上がることを呼びかけるとともに、そこから抜け出そうとする人々のもがきを詠っており、反戦・厭戦的な内容の作品は見られないと言います。三好さんは戦時中に福井県の三国に疎開しており、この時期に日本海を飛ぶ鷗を目にしていた可能性がある。自由に海の上を飛ぶ鷗の姿に、これからの生への希望を素直に重ね合わたのではないかと言う解釈もあります。
この詩は6段に分かれており、その大意を次に記します。
第1段。鷗は空で恋をし、雲を臥所とする。広大な空を自由に飛ぶことができて、どのような環境にあっても自在に動ける。それが自由である。
第2段、第3段。そう言う自由を獲得した者は、世界をどうにでも出来る。太陽の運行を変えることはできないが、自分が動けばその太陽でさえも東でも西にでも置いておける。広大な海を時間も自由に、食堂にも舞踏室にもできる。
第4段。真の自由を獲得した者は自分自身が世界ともなり生まれてから死ぬまでを自由に出来る。
故郷は自分が生まれ育った場所。この世に自分が生まれた意義は、自分自身が証明することだと言うこと。また墳墓とは人生の終焉。自分自身の人生が何であったのかは、自分自身の生き様が語っているのだと言うこと。自らの存在意義は自分自身が語ることであり、それが自由の本質。
第5段。自分の生き様は、自分で決めた人生の価値と言うたった一つのことから始まる。
一つの星。これは人間の夢。人間は何でも出来るが、一つのことしか出来ない。自分で常に選択し、選択しなかった全てを捨て続ける。真に自由な人間は、唯一の価値である「星」へ向かって進んで行く。
一つの言葉。これは自分が何者であるのかと言うこと。人間はどう言う人間にもなれるが、これも決めなければならない。他の人生は諦めなければならないが、決めた者のみが真の自由を得る。青春の悩みとはそうした人生の選択の悩みのこと。
第6段。そう言う自由を獲得した者は、世界をあるがままに受け取る。朝焼けを美しいと感謝し感動する。夕焼けを素晴らしいと感じ喜びを心に刻む。それは自由な自分だからこそ感じられること。真の自由、つまり自分の夢のために闘う者であれば、感謝と喜びの中に過ごすことが出来る。
「44わのべにすずめ」は、ダニール・ハルムスと言うロシアの作家の詩に1994年に木下さんが曲をつけた作品。「三つの不思議な物語」(カワイ出版)と言う組曲の第一曲で、アカペラのユーモラスな楽しい内容の作品ですが、技術的には転調を頻繁に繰り返す難曲です。
詩人のダニール・ハルムスさん(1905年~42年)は、本名はダニール・イワノビッチ・ユヴァチョフ。詩・散文・戯曲・児童文学と幅広いジャンルにわたり著作活動を行っていますが、公的出版物に掲載されたものは非常に少ないと言います。ロシア・アバンギャルドの流れをくみ、1920年代末にロシア・アヴァンギャルドのグループ、オベリウ(リアル芸術結社)の結成に参加する。オベリウ解散後の1931年12月に、児童文学の領域で反ソビエト活動を行ったとして逮捕されるが、翌年の6月に解放されクルスクへ追放される。1941年8月23日に再度逮捕され、1942年2月2に監獄の精神病院で亡くなる。死因は餓死であるとされている。スターリン時代の粛正の犠牲者であるが、1956年に名誉回復がなされ作品も復活したと言います。
そのように激しい人生を生きたダニール・ハルムスさんの作った「44わのべにすずめ」は、「あるところに1けんのいえがあった なかには44わのべにすずめが なかよく、ゆかいに住んでした」と言う歌い出して始まり、そのタイトル通りべにすずめの「日常」をコミカルに愛情を込めて綴られています。
10行前後の物語を一つの連とし、連を重ねるごとにべにすずめの行動が変わる仕掛けの詩になっており、木下さんは連が変わる都度、あるいは一つの連の中でも目まぐるしい転調を駆使して、べにすずめたちの動きにキャラクターを持たせます。アカペラで、4分30秒に及ぶ大作であり、「アカペラ・コーラス・セレクション」の中でも屈指の難曲・・・です。
第3ステージは、千原英喜さん作曲の、「混声合唱とピアノのための 良寛相聞」を演奏します。昨年、ルミナスは「混声合唱組曲 心が愛にふるえるとき」を取り上げました。千原さんについては昨年もこのコラムでご紹介いたしましたので、次に再掲します。
「千原英喜さん(1957年-)は、合唱や声楽の世界で現在活躍中の日本の作曲家。東京藝術大学作曲科を卒業し、間宮芳生さんや小林秀雄さんに師事。日本の伝統音楽や古典に取材し、西洋の音楽(特にキリスト教の聖歌)と結びつけるのが作風の一つです。「音楽は時空を超えて」を銘に、主に次の4つのテーマを柱にした作曲活動を行っておられます。
①日本人のアイデンティティ = 古典伝統素材の和風もの
②東西の祈りの普遍性 = キリスト教聖歌や切支丹もの
③日本の歌ごころ = POP/演歌な歌謡性
④Classic Transcription = クラシック曲の合唱アレンジ編作」
「良寛相聞」について千原さんは楽譜の冒頭で次のように言います。
「相聞(そうもん)とは男女の相思の情を詠み合う歌であり、この曲は、良寛と貞心尼(ていしんに)の相聞歌集とも言うべき「蓮の露(はちすのつゆ)」を中心に、詩歌十一首ほどをテキストに選び、全4曲の組曲としたものである。
良寛の詩歌や書は、これぞ風来坊のココロと云うか、飄々として、その浮遊感と透明感がすこぶる妙である。人なつこさと無邪気な遊び心にあふれた良寛だが、夢覚一如を説き、貞心尼と唱和する彼の孤高、自在な精神は、神秘と耽美に充ちた内的宇宙を観ていたかもしれない。
※良寛=江戸後期の禅僧、歌人。号は大愚。越後の人。諸国を行脚の後、生涯寺を持たず、帰郷して国上山(くがみやま)の五合庵住。性枯淡、村童を友とし、脱俗生活を送り、高潔な人格を尊仰された。書を以て知られ、漢詩、和歌にすぐれた。1758生~1831没(「広辞苑」より抜粋。岩波書店)」
この作品は2007年に初演されました。千原さんの作品ジャンルで言うと、「①日本人のアイデンティティ = 古典伝統素材の和風もの」となるでしょう。
良寛は、子供と遊ぶのが好きで、世の中の俗事にはこだわらず、財産や名声や地位に対する欲望がなく、お坊さんでありながらお寺ではなく草庵に住み、毎日托鉢して、手まりをついて村の子供たちと遊び、詩や和歌や俳句を作ったり、書をかいたり、その日その日を悠々と過ごしていたと言います。「日本人の心のふるさとのような人」とも言われ、漢詩654、和歌1420、俳句113、書2000以上が残されているそうです。
「1.相聞Ⅰ/パストラーレ」「2.手まり」「3.君や忘る道」「4.相聞Ⅱ/夢のあとに」の4曲から成る組曲ですが、「手まり」は良寛の有名な詩で、相聞歌ではありません。良寛の人柄を伝える、紹介のような作品です。
他の3曲は相聞歌ですが、詩が書かれた順番は演奏順とは逆で、4曲目の相聞Ⅱが出会いの頃、3曲目が愛情が高まっていく頃、そして1曲目はすでに相思相愛の頃となっています。
2.手まり
良寛は1758(宝暦8)年に新潟県出雲崎の名主、山本家の長男として生まれましたが、18才で曹洞宗のお寺に出家し、岡山県の修行道場「円通寺」で修業した後、33才に印可を得て全国行脚の修行に出たと言います。そして、1796年、39才で帰郷し草庵に住み、子供と遊び、詩歌を作り、書を書き、旅と托鉢の日々を過ごします。
良寛の生まれた時代は、老中 田沼意次の情実政治の時代。まっすぐな性格の良寛は、名主として上手く家を切り盛りすることができず、清廉潔白である仏門に帰依したのではないかと言われます。そして、僧侶として大成して、名僧となって両親に報いたいと言う希望に燃えて、修行にも真面目に取り組みましたが、多くの人間を管理することが苦手な良寛は大寺院の僧侶となることにも挫折します。彼には次のような大意の詩があります。
「自分は孤独であり、加うるに疎庸で、営々と仏道修行に努めることもできない。所詮自分は世に出るような人間ではない。到底出世することはおぼつかない。一鉢を携えて行脚に日を暮らし、時には寺の山門のほとりで子供を相手に慰めるくらいのものである。」
大らかで浮世離れしたイメージの強い良寛ですが、実際にはかなり人間臭く、特に若い頃には深い苦悩を抱えていたと思われます。
さて、この曲の元となった歌は有名な「手毬を詠める」。大意は、「春が来て、草庵を出て里に行くと、道の辻で、春だ春だと、子供たちが手まりをついている。私も子供たちに交じって手まりをつく。ひふみよいむなや。おまえさんがつけば、私は歌い、私がつけば、おまえさんは歌う。ついては歌ったり、遊び過ごして、のどかな春の日はたとえ暮れずにいてもよいよ。」
良寛が手まりをつく行為を大切にした理由を、日本文化研究家 栗田勇さんは、手まりつきと言う「行為自体」に無我の境地へ誘うリズムがあり、坐禅のような働きがある。子どもと手毬をつき続けるとき、良寛は無我の境地になれる。夢中(無我)な子供とかわるがわるに毬をつく。無我と無我がひとつの共同体となり、四季(自然)の脈動へと繋がって行く・・・。
心に深い苦悩を抱えた良寛にとって、手まりつきは修行であり、子供たちは修行に欠かせないパートナー。人間としての成長と僧としての大成を求める、人間臭い思いがあったのではないか・・・と思われます。
4.相聞II/夢の世に
1827(文政10)年、良寛が70才のときに30才の貞心尼と出会います。何回も会い、和歌をやりとりし、1831(天保2)年、良寛が74才で亡くなるまで交流が続きます。この間の交流の記録が、歌集「蓮の露」。貞心尼は1872(明治5)年に亡くなります。
貞心尼は武士の家に生まれて医者と結婚し、何らかの事情で離婚して出家した女性です。何らかの事情とは、子供が生まれなかったとか、夫の不義とか、家出とか・・・と言うことが伝えられているそうです。作品からは勉強家で、理知的で、行動力に溢れた素敵な女性像が伺われます。
初めて貞心尼が良寛を訪問したとき、良寛は留守で会えませんでした。貞心尼は、おみやげに持参した手鞠に歌を添えて置き手紙にしました。「手まり、これこそが仏道に遊びつつ、ついてもついても尽きる事のない御法を体現しているのかしら。」
この歌を読んで、良寛の気持ちは動きます。良寛自身、「童と手毬なんてかついて一体どう言う訳なのだと問われても、相手に説明のしようなんかない」と言います(先に述べたような、人に言えない苦悩も抱えていたわけですが・・・)。そんな、良寛の手まりについて貞心尼は、「手まりつきによって仏に近づいているのだ」と明確な理由を示します。
良寛はこれにこう答えます。「さあ、あなたも手まりをついてごらん。ひふみよいむなやここのとお。手まりをつく、この行為の無限の反復の中に仏道の悟りがひそんでいるのだよ。」良寛は、自分の気持ちを正しく汲み取った貞心尼からの、自分がやっている手まりが仏道に近づくためのものだと言う考えに同意していきます。「つく」と言う言葉には弟子につくと言う意味もあり、貞心尼の弟子入りが認められたと言う解釈もあります。この、返歌をもらった貞心尼の喜びは大きかったでしょう。
また、「ひふみよいむなやここのとお」は悟りに至るキーワードとして、この曲全体に一貫して使われています。二人の心が高まっていくところでも、禅僧と尼と言う本来そう言う関係が好ましくない中で、心が接近していきますが、常に「ひふみよ・・・」おし止めようとしたのでしょうか。しかし、それでも二人の関係は接近して行きます。
後半は、初めて会った時の歌です。「夢」と言う言葉がキーワードになっていますが、良寛と貞心尼が込めた「夢」の思いは違います。
貞心尼は、「あなたにこうしてお会いしたことの嬉しさは、いまだ覚めやらず、これは夢なのかと思います。」と言います。貞心尼の言う夢は言葉通りの夢。憧れの良寛に会い幸せの絶頂にいながら、夢が醒めたら・・・と不安な気持ちも伺えます。
それに対して良寛は、「夢のようにはかない世の中、この世であなたとの出会いも微睡(まどろ)みの中の夢の出来事、とあなたに語っている事もまた夢のようであり、そればそれで夢のままでよいのでしょう。」
貞心尼の一途な想いに対する良寛の一首。人生とは夢のようなものだからなるように任せよう・・・と言う悟りの境地とのコントラストが微笑ましく感じられます。
更に千原さんは、良寛が「夢」を表現した漢詩をテキストを織り込み、説得力を加えます。大意は、「夜の夢はすべて妄想であり、ひとつとして深く論じる価値などない。しかし夢をみている時にあっては、夢は目の前のれっきとした現実の出来事である。見た夢から思うことは、今日、今の現実もまた夢にほかならない。」
夢というのは、それを見ている当人にはリアリティあるものとして映る。そこから逃れたいと思う恐ろしい夢を見ることがあり、逆にいつまでも見ていたいと思う幸せな夢もある。しかし、いずれも心が生み出した夢幻(ゆめまぼろし)であることに変わりない。これが自分に起こっていることであり、現実と思っているこの世界も夢のようなものである、と良寛は言います。
仏教的な解釈では、夜の眠りから覚め新たな一日が始まる、この日々の繰り返しが生(人生)に他ならないが、その全体が夢(「大夢」と言う)の如きものであると言う。現実という夢から目覚め、さらにもう一つの現実(真理)を知ること(「大覚」と言う)、夢の延長に過ぎない現実から目覚めることによって真実の世界(真理)が見えてくる、それを悟りと言います。
3.君や忘る道
この曲は3つの詩から構成されています。最後の「またも来よ柴の庵を厭わずば」の部分が、時系列的には最初になります。二人の最初の出会い、秋の夜、深夜まで話し合います。その帰りに貞心尼が、「そろそろ帰ろうと思います。再びここに訪れたいと思います。芝草の生えている野道をたどりながら」と言う意味の歌を詠みます。それに対して良寛は、「またおいで下さい。こんな粗末な庵ですが、お厭でなければ、つゆに濡れた薄野原をかきわけて、またおいでなさい」と答えます。
しかし、貞心尼は約束したのに現れません。そこで、良寛が貞心尼に贈ったのが「君や忘る道や、道や隠るこの頃」です(あなたは私の庵への道をお忘れでしょうか。草が生い茂って道が隠れてしまったのでしょうか。待てど暮らせど、あなたは訪ねてこない)。
この歌の中に「音づれ(訪れ)」と言う言葉があります。良寛は万葉集を愛しており、万葉の時代には「音づれ」とは、待ち望んでいる音が聞こえてくると言う意味がありました。待ち望んでいる音、待っていた人が現れて、その音が聞こえてくる、そこから「訪れる」と言う言葉が派生したと言います。
良寛の待ち焦がれている様が分ります。この後の手紙のやり取りでも、良寛が積極的に会いたがっている様子があり、貞心尼が良寛を訪ねて来た最初の出会いの頃と、立場が逆転してしまっています。
1.相聞I/パストラーレ
この歌は、与坂の里(新潟県三島郡)の山田杜皐(やまだとこう)宅に泊まっていた時のものです。 山田家での楽しい時間も夜になり、良寛は一度帰ります。帰り際に、「この続きは、また明日にしましょう」と言う歌をおくります。そして、次の日の早朝、良寛は訪れ、貞心尼は次の歌を贈ります。「和歌を詠みましょうか、手まりをつきましょうか、野に出てもみましょうか、あなた思うまま何でも、おまかせで遊びましょう。さぁ、どうしましょうか。」
この歌は、良寛の元歌があり、それを学習した成果と言います。また、4曲目で使われている良寛の夢の歌の「それがまにまに」をうまく取り込んでます。良寛は自分の歌を高めて返され、感激したのではないでしょうか。
良寛からの返歌は「それでは和歌でも詠んでみようか。手まりもついてみようか、野にも出てみようか。どれも面白くて、一つに定められないよ。」ほとんど貞心尼の歌のオウム返しで心は一つです。その一つの中で、どこまで自分を出せるかと言う、そのぎりぎりの表現がこの歌の面白さでしょう。
この曲は曲集の一曲目で、良寛と貞心尼の歌が牧歌的でシンプルな旋律に乗せられた簡潔な作品です。しかし、男声と女声が着いたり離れたり、重なったりしながら微妙なアンサンブルを繰り広げる、そのぎりぎりの緊張感が濃密な雰囲気を醸し出します。
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のステージタイトルは、「FMルミナスPart3~美空ひばりを訪ねて」。昨年生誕80周年を迎えたご存知昭和の歌姫、美空ひばりさんの名曲を、信長貴富さんの編曲(混声合唱による美空ひばり作品集「川の流れのように」)で歌います。名曲の名編曲ですので、楽曲として聞いて頂いてももちろん素晴らしいですが、そこは企画ステージ、更にお楽しみ頂ける演出を盛り込みます。
FMルミナス・・・と聞いてピンと来られる方は、相当なルミナス通? ラッキーさんとハッピーさんと言う、ルミナスが誇る2人の人気ディスクジョッキーの楽しいおしゃべりと曲紹介に乗せながら、ステージは進んで行きます。以降は、会場にお越し頂いてのお楽しみ・・・です。
さて、今年の定演は、冒頭にも書きましたが、次年度以降の変化へとつながるエポックな演奏会です。次年度の変化とは何か・・・ですが、ルミナス創団以降出場を続けてきた全日本合唱連盟主催の合唱コンクールへの出場を、今年は見合わせることと致しました。コンクールへの出場を止める・・・と言うと消極的に聞こえるかもしれませんが、私達の込めた思いは違います。創団18年目を迎え、団員の入れ替わりやパートバランスなど、様々な課題が顕在化してきた今、そうした課題に対応するため、例年8月までの期間を費やしているコンクールへの参加を今年は見合わせて、もう一度じっくり声づくりとアンサンブルづくりに取り組み、ルミナスサウンドを見直すことと致しました。積極的に後退することで時間と気持ちに余裕を作って、第2の創団とも言うべき進歩をしたいと考えています。
時間を作って具体的に何をやるのか、声づくりとアンサンブルづくりにどう取り組むか、年間の活動をどう充実したものにするか・・・は検討中ですし、試行錯誤の連続だと思います。ただ良い音楽を題材として活動すべく、次年度の選曲は既に決めました。来年のプログラムをご紹介致しますと次の通りです。
①源田俊一郎編曲、「混声合唱のためのホームソングメドレー1」からイギリス編。
②ヨーゼフ・ラインベルガー作曲、「ミサ曲 ヘ長調op.117 Missa brevis」。
③三善晃作曲、「木とともに 人とともに」(木とともに人とともに、空、生きる)。
④信長貴富編曲、「混声合唱とピアノのための出発の歌 ~1971年生まれのポップソング~」(1.翼をください 2.花嫁 3.虹と雪のバラード 4.戦争を知らない子供たち 5.出発の歌 6.翼をください)。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいます。そして、次の節目に向けて、定演を終えたらまた新たな一歩を歩みだします。
このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2018年2月)
2017年3月時点での過去、現在そして未来
技術委員長 安井 勲
2017年4月23日(日)、神奈川県立青少年センターで、15回目の定期演奏会を行います。
去る2月25日(土)、26日(日)の2日間、横浜市内の練習会場で定演に向けた強化練習を行い、今年の演奏会の全貌が見えてきました。年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年も常任指揮者 小久保大輔先生の指揮により、ルネサンス期のアカペラ(無伴奏)・ポリフォニー(多声音楽)の宗教作品、武満徹さんのアカペラ合唱作品集の「うた」から、千原英喜さん作曲の混声合唱組曲「心が愛にふるえるとき」、そして企画ステージをお送り致します。コンクールの課題曲を中心としたアカペラ作品、邦人作品、企画ステージという三つの柱は、数年前から取り組んでいる私たちの活動の一つの型であり、今年はそこに日本の大家「世界のタケミツ」によるアカペラ合唱作品を加えました。そして、今年の邦人の合唱作品は人気作曲家、千原さんの「心が愛にふるえるとき」を取り上げます。千原さんは合唱作品を中心に活躍される有名作曲家。ルミナスは初めて千原作品を取り上げます。昨年、節目の第15回定演を終え、今年は、次の節目へ向け新たな歩み出しをする、大切な年です。
第1ステージは、スネサンス期(14-16世紀)の大作曲家、ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(1525年頃-1594年)と、オルランドゥス・ラッスス(1532年-1594年)の名曲を演奏します。
パレストリーナは、ルネサンス末期のイタリアの作曲家。当時のイタリアの宗教音楽は、フランドル楽派の作曲家によるポリフォニー作品で占められており、それらの作品は余りに技巧的で複雑で、歌われている歌詞は聞き取りにくい。加えて、愛や恋を歌った世俗音楽を定旋律とするなど、ミサの中の典礼音楽としてふさわしくなかったと言います。そのような中、マルチン・ルターによる宗教改革が行われ、対抗する側として内部改革を迫られたカトリック教会は、宗教音楽についても見直しをせざるを得なくなった。そのような時代に活躍したのがパレストリーナであると言われます。
1565年、カトリック教義における音楽の位置づけを話し合うトレント公会議で歌われたと伝えられる、彼の「教皇マルチェルスのミサ曲」は特に有名で代表作の一つ。簡潔で歌詞が明瞭に聞き取れるこの作品が、宗教音楽の世界でのポリフォニー様式の復権を果たしたと伝えられます。
Sicut cervus(泉を求める鹿のように)は、旋律の美しさやポリフォニー様式を巧みに使った描写の素晴らしさから、彼のモテット(ミサ曲以外の宗教作品)の中でもとりわけ有名です。
歌詞は次の詩編42(2節から4節)に基づく。「水の川床を前に喘ぐ鹿のように、神よ、わたしの魂はあなたに喘いでいます。」詩編42は、異教の地にあって辱めを受ける民が、「神への渇望」を詠んだ詩です。美しい旋律を各パートが繰り返しながら入ってくる冒頭は穏やかで、あたかも鹿の群れが集まってくるようであり、ポリフォニーの作曲様式としても、情景描写としても秀逸。最後までパレストリーナ様式の抒情的な美しさを湛えつつ、内面に激しい情熱と祈りを込めて音楽は進みます。
ラッススは、ベルギー出身で16世紀のフランドル楽派の最後を飾る巨匠。イタリア、フランスなどでも活躍し、特にドイツのミュンヘンの宮廷に仕え、2000曲以上もの作品を残しており、宗教曲、世俗曲ともに当時のあらゆるジャンルに及びます。前記のパレストリーナと同時代に活躍し、1594年、パレストリーナと同年に没しました。
Adorna thalamum tuum,Sion(シオンよ、汝の花嫁の部屋を飾れ)の歌詞は、「聖母マリアのお浄めの祝日」のミサの前に、ロウソクの行列をしながら歌うグレゴリオ聖歌に基づきます。イエス・キリストが誕生した12月25日からちょうど40日目の2月2日に、聖母マリアがイエスを神殿に奉献する「御潔め」のユダヤ教行事を行った際、参列者がろうそくを持ってお祝いしたことが由来と言われています。これ以後、「キリスト」と「光」は強い関わりを持とも言われます。この時、神殿の近くに住んでいたシメオンという老人はイエスを抱き、救世主が到来したことを神に感謝したと言います。
この作品はそうした故事に基づき、音楽はポリフォニーを主体としつつ、一部にホモフォニー(和声音楽)も組み合わせて進み、各パートから立ち上る歓喜の言葉(この御子は世の救い主である)で締めくくられます。
第2ステージは、武満徹作曲の、混声合唱のための「うた」から、4曲を演奏します。
武満さん(1930年-1996年)は、管弦楽作品を中心に世界の名だたる賞を受賞し、「世界のタケミツ」と呼ばれる日本の生んだ大作曲です。彼は、ほぼ独学で作曲を学びました。尺八などの邦楽器を使い、日本の伝統を受け継ぎながら、独創的で繊細な感受性をもった作風で世界に評価されています。2016年は彼の没後20周年に当たります。彼の活躍は、オーケストラのための作品やソロ楽器との協奏曲から、声楽作品、映画やテレビ、演劇など劇音楽まで幅広い。
混声合唱のための「うた」は、武満さんが作曲・編曲した12曲のアカペラの混声合唱曲集です。映画やラジオ、舞台など、異なる機会のために作られた曲を、作曲者自身が合唱曲に編曲したもので、作曲時期も1950年代から1980年代までと様々。合唱への編曲は主に1980年代に行われ、大半は東京混声合唱団による委嘱でした。
「さくら」は、よく知られた歌であり、1981年に東京混声合唱団から委嘱されました。この曲は、「日本古謡」と言われますが、幕末の江戸で子供用の箏の手ほどき曲として作られた、作者不明の曲と言われます。この歌が、初めて教科書に登場したのは1941年(昭和16年)で、「さくらさくら」と題され、歌詞は♪野山も里も見渡す限り 霞か雲か朝日ににおう さくらさくら花盛り♪であったと言います。教科書に掲載された歌詞はその後の変遷を経て、1989年(平成元年)に現在の形に落ち着いたそうです。
桜は日本を代表する春の花であり、その華やかさは人生の節目を飾るとともに、散り様の潔さはそこはかとない愁いを帯びる。武満さんのこの編曲は、さくらの花の持つ美しさや儚(はかな)さ、幽玄さ、佇まいと言った風情まで描き出す編曲となっています。
「島へ」は、1983年にテレビ番組「はなすことはない」の挿入歌として作曲されました。この作品は、一般的には「番組で使用されなかった」と言われますが、実際に放送された映像を確認すると番組中で使われているそうです(ルミナス団員調べ)。このドラマは、自立する女性の生きざまや男女の感覚の違いを考えさせる内容で、決してハッピーエンドの恋愛ドラマではないようです。
「○と△の歌」は、1961年に羽仁進監督の「不良少年」の劇中で、主演の山田幸雄によって歌われた作品。谷川俊太郎の詩であり、具象的な意味は読み取れない、言葉遊び的な作品です。
「死んだ男の残したものは」は、1965年に「ベトナムの平和を願う市民の集会」のために書かれ、友竹正則さんが歌った反戦歌。森谷司郎監督の映画「弾痕」(1969年)の挿入曲ともなりました。詩は谷川俊太郎さんで、谷川さんに作曲を依頼された武満さんは1日で曲を完成させ、武満さんはその曲に「メッセージソングのように気張って歌わず、『愛染かつら』のような気持ちで歌って欲しい」という手紙を添えて渡したと言われます。
第3ステージは、千原英喜作曲の、混声合唱組曲「心が愛にふるえるとき」を演奏します。
千原英喜さん(1957年-)は、合唱や声楽の世界で現在活躍中の日本の作曲家。東京藝術大学作曲科を卒業し、間宮芳生さんや小林秀雄さんに師事。日本の伝統音楽や古典に取材し、西洋の音楽(特にキリスト教の聖歌)と結びつけるのが作風の一つです。「音楽は時空を超えて」を銘に、主に次の4つのテーマを柱にした作曲活動を行っておられます(参考:「まるごとちはら」演奏会・出演情報、合唱団京都エコー)。
①日本人のアイデンティティ = 古典伝統素材の和風もの
②東西の祈りの普遍性 = キリスト教聖歌や切支丹もの
③日本の歌ごころ = POP/演歌な歌謡性
④Classic Transcription = クラシック曲の合唱アレンジ編作
「心が愛にふるえるとき」は、2014年6月に「誰にでも口ずさめる歌を歌っていかなくてはならない」というコンセプトで、毎年金沢で行われている「新しい風コンサート」の第10回記念コンサートのために作曲された作品です。発起人の一人で、コンサートの監修を行う直木賞作家の五木寛之さんが詩を書き下ろしました。楽譜の扉にある千原さんの紹介によると、「耐えがたきこの世に、人として生きる勇気を」という願いを持って書かれた詩に、千原さんは「見果てぬ夢、祈りに激しく心揺り動かされ、熱く滾る思いをもって作曲した」と言います。
1曲目の「心が愛にふるえるとき」は、ピアノ伴奏付きで、軽快でポップなメロディーとリズム、ハーモニーを持った作品。「いつかはきっと 出会うだろう たしかな希望に 真実に・・・心が愛にふるえるとき」。夢と希望に満ちた幕開け。
2曲目の「めぐりあい」は、母と生き別れ、兄妹(厨子王と安寿姫)で辛酸をなめるたうえで殺された安寿姫の敵討ちを果たした厨子王が、母に再会する「山椒大夫」の物語を彷彿とさせる作品。アカペラの「これぞ千原節」とも言うべき作品。琴線に響くメロディーとハーモニーが心に染みる。
3曲目の「少年」は、中央アジア、アフガニスタンの首都カブールが舞台。シルクロード交易により3千年以上昔から栄え、「文明の十字路」と呼ばれた、かつては豊かで美しい町であったが、長い戦乱を経て今は復興の途上にある。本作の主人公の少年はカブールの丘に立ち、かつてあったはすの美しいアザミの花、ひなげしの花、戦火に燃える故郷の村を追想し、それらは「いまはどこに」と問いかける。
4曲目の「春を待つ」は、北朝鮮に拉致された被害者の思いに寄り添って書かれた詩と言われる。曲調は歌謡曲風な親しみや温かさを感じさせる作品であるが、その内容は重い。「ふるさとにありがとう 帰る日を夢見ながら きょうも また 春を待つ」。祈りにも似た切実さが込められる。
5曲目の「追憶」は望郷の念が込められる。五木博之さんは1932年に福岡県に生まれ、生後まもなく朝鮮半島に渡り、父の勤務に付いて朝鮮各地を移る。第二次世界大戦終戦時は平壌にいたが、ソ連軍進駐の混乱の中で38度線を越えて開城に脱出し、1947年に福岡県に引き揚げると言う壮絶な過去を持つ。現在は奥さんの郷里である金沢を根拠に活動を続けるが、金沢は日本海を挟んで朝鮮半島と向かい合う。北欧風の響きも混じる、重厚な8分の6拍子のピアノ伴奏の流れの中、記憶(追憶)の彼方に滲んで行く望郷の願いが切ない。
(参考:ハーモニー179号。ヒデさんは見た。合唱団京都エコー演奏会「まるごとちはら)
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のステージタイトルは、「日本と西洋音楽の邂逅~めぐり合い」。西洋音楽が 日本にいかにして伝わり日本の社会にどのように定着し なくてはならないものに なったのか・・・皆さんはご存知ですか? 一説には・・・16世紀後半、安土桃山時代に初めてヨーロッパに遣わされた天正遣欧使節団が持ち帰り、豊臣秀吉に聞かせた、ジョスカン・デ・プレ作曲のMille regretz(千々の悲しみ)が始まりと言われており・・・・。江戸時代のキリスト教音楽の弾圧を経て、明治、大正、昭和・・・と西洋音楽は受け継がれて今日に至るわけですが・・・。以降は、会場にお越し頂いてのお楽しみ・・・です。
さて、今年の定演は、冒頭にも書きましたが、次の節目に向けた新たなスタートとなる演奏会です。今の形を生かしつつどう中身を変化させ、充実させて行くか・・・なかなか難しいテーマですが、例えば今年パレストリーナの名曲、Sicut cervusを演奏致します。この曲は第1部と第2部に分かれており、第1部が有名でこちらだけ取り上げられる機会が多いのですが、第2部の「Sitivit anima mea」(私の魂は渇望する)も名曲です。来年はこちらも取り上げて全曲を演奏したいと思います。また、今や日本の合唱界の巨匠である千原さんの作品を、ルミナスは今年初めて取り上げます。ぜひ来年も続けて取り組んでみたいと考えています。また、練習計画や進め方についてもまだまだ工夫の余地があり・・・など、試行錯誤を続けて行きたいと思います。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいます。そして、次の節目に向けて、定演を終えたらまた新たな一歩を歩みだします。
このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2017年3月)
2016年3月時点での過去、現在そして未来
テノール パートリーダー 安井 勲
2016年4月17日(日)、神奈川県立音楽堂で、15回目の定期演奏会を行います。
去る2月27日(土)、28日(日)の2日間、横浜市内の練習会場で定演に向けた強化練習を行い、今年の演奏会の全貌が見えてきました。年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年も常任指揮者 小久保大輔先生の指揮により、コダーイ・ゾルターンのアカペラ合唱作品、オラ・イェイロのアカペラ合唱作品、信長 貴富さん作曲の「寺山修司の詩による6つのうた 思い出すために」、そして企画ステージをお送り致します。コンクールの課題曲を中心としたアカペラ作品、邦人作品、企画ステージという三つの柱に加えて近現代の海外アカペラ合唱作品への取り組みは、数年前から取り組んでいる一つの型です。そして、今年の邦人の合唱作品は人気作曲家、信長さんの「思い出すために」を、7年前の第8回定演に続いて取り上げます。後にもお話しますが、今年の定演は第15回目の節目の年。再演も含めて、私達として密かに・・・お祝いムードに満たされた演奏会です。
第1ステージは、コダーイ・ゾルターン(1882年-1967年)のアカペラ合唱作品を2曲演奏します。コダーイはハンガリーを代表する作曲家、教育者、民俗音楽学者です。ハンガリーの民俗音楽と、伝統的な西洋音楽を融合した彼の無伴奏合唱曲集は、汲めども尽きぬ清水のような豊かさに満ちており、今なお色あせません。
まず最初に、「ケセンテ」(ナジサロンタの祝い歌)を演奏します。この曲はハンガリーの民謡をベースに作曲されたお祝いの歌です。歌詞の大意は次です。「みんな起きて、夜明けが来たよ。夜明けは天使のように、金の羽をつけて飛んでるよ。揺れている緑の草の中で白いユリやバラが育ち、野原は色とりどりできれいになってゆくよ。色とりどりのたくさんの草花と同じように、ありったけの祝福があなたの頭の上に与えられますように。」
ルミナス・コールは、過去3回の定演でコダーイを取り上げています(第2回、第3回、第5回)。ケセンテは、第2回定演のコダーイ・ステージの1曲目に取り上げた作品です。大変に短い曲ですが、シンプルなメロディーが何回も変奏され、コダーイの作曲技法に驚かされます。そして、歌詞の大意は上記のとおりですが、マジャール語指導を頂いているハンガリーご出身のトート・ガーボル先生によれば、大国による征服と支配からハンガリー人民が目覚めることを促した意味もある・・・とのこと。小さいですが奥行きの深い作品です。
2曲目に「スィープ・ケニェールギィーシュ」(切なる願い)を演奏します。
この作品は第2次世界大戦最中の1943年に、首都ブダペストで作曲されました。彼の名曲、「ミサ・ブレビス」が作曲され、ブダぺストのオペラハウスのクロークで初演された1944年と時期が重なります。作曲家としての円熟味はもちろん、ハンガリーの自由と平和を希求する、強く熱い思いに満ちています。
「切なる願い」は「嘆願して」、「心よりの嘆願」・・・などとも邦訳されます。詩は、1500年代に活躍した、ハンガリー・ルネサンス期の大詩人バラッシ・バーリントによります。大意は次の通りです。「もはや私の在るべきところはない。慈悲深き神よ、私を取り巻く恐ろしい危機ゆえに、私のそばにいて下さい。私を屈辱のままにうち捨てないで下さい。あるいは、私を哀れと思し召せば、私の顔を辱めぬよう、むしろ死を与えてください。尊厳を以てすべてを行うために、勇敢さをお恵みください。良き信仰と勇気ある心をという武器を、私にまとわせて下さい。傲慢なる敵が私を嘲らぬよう、私と共にいて下さい。主よ、善なる神よ、甚だしき恥を私が被らぬよう、これ以上私を落胆のままにうち捨てないで下さい。私の魂はいかなる時も神を讃えましょう。あらゆるものから私を加護してくださった神を、祝福された神よ。あなたに永遠の感謝を。アーメン。」まさに心からの哀願です。16世紀にやはり祖国を思って書いたバラッシの詩に、戦火の中で、祖国と同朋のために文字通り命がけでこの作品を書いたコダーイの誠を感じずにはいられません。
この作品も、コダーイらしい民謡風の憂いを帯びた端正なメロディーの主題と、バラッシの詩の起伏ともマッチした変奏が綾なす、重厚で荘厳なハーモニーを持った聖歌です。そして、どこまでも・・・天上を目指して立ち上るかのような最後のアーメンコーラス。他に例のない美しさです。なおこの「切なる願い」は、今年度の全日本合唱コンクールの課題曲の一つです。
第2ステージは、「オラ・イェイロ作品集」です。ルミナス・コールは昨年、「同じテーマによる異なる国の作曲家」による作品の歌い比べ聴き比べをコンセプトに、現代アカペラの宗教作品集を組みました。この中の「Ubi caritas」対決?で、フランスの作曲家モーリス・デュリュフレと、彼の作品を取り上げました。昨年に引き続き、「Ubi caritas」を中心に、彼の代表作3作品でステージを組みます。
オラ・イェイロ(1978年-)はノルウェー出身のピアニスト・作曲家です。ノルウェー国立音楽学院、イギリス王立音楽大学で学んだ後、アメリカに渡りジュリアード音楽院で作曲の修士号を取得し、今はアメリカを拠点に活躍されています。民謡、クラシックからジャズやポピュラー音楽まで幅広いジャンルをカバーし、ハリウッドで映画音楽も手掛けるなど、幅広い活躍をしていますが、無伴奏の宗教作品を中心に、多くの合唱作品を創作しています。透明感あふれるメロディーとハーモニーは、合唱王国ノルウェーに生まれ育った彼の感性・・・を感じさせます。
1曲目の「The Spheres」(天球たち)は、2008年に作られたオーケストラ伴奏つきのミサ曲(Sunrise Mass)の1曲目を、2009年に彼自身が無伴奏作品に編み直した作品です。通常のミサ曲は、ラテン語のKyrie(あわれみの賛歌)、Gloria(栄光の賛歌)、Credo(信仰宣言)・・・をそのタイトルとしますが、彼は1曲目の「Kyrie」に「The Spheres」、2曲目の「Gloria」に「Sunrise」(日の出)、3曲目の「Credo」に「The City」(市民)・・・など、彼が宇宙や地球、大地や自然などの視点から着想を得た言葉をタイトルとしています。
「The Spheres」は、「Kyrie eleison,Christe eleison」と言うミサの言葉を、2群の合唱が歌い交わすことから始まり、最後は全員の合奏で締めくくられます。2群の合唱の交唱は、最初は空間に漂う蛍の瞬きのように、フェードイン・フェードアウト効果をもって始まり、移り変わりつつ次第に人数を加えて行きます。最後に一つになった天球たち全員が、まったき全体として鳴り響きます。
2曲目のUbi caritas(ウビ・カリタス/慈しみと愛のあるところ)は、最後の晩餐を記念する聖木曜日のミサで行われる、洗足式という儀の際に歌われる聖歌です。最後の晩餐の時、使徒達の足をみずから洗った主が、「私は主または先生であるのにあなたたちの足を洗ったのであるから、あなたたちも互いに足を洗いあわなければならない。私がしたとおりあなたたちもするようにと私は模範を示した」と話したことに基きます。キリストが使徒たちにされたように、司祭は選ばれた信徒一人一人の前に立ち、足に水を注いで拭く。この間に交唱(2組の合唱隊が交互に歌う形式)される聖歌がUbi caritas。洗足によって外部の汚れが取り除かれたように、私達の内部の汚れ(罪)も清められるようミサの祈願に続きます。 彼の「Ubi caritas」は2007年の作品であり、彼の作品の中で最も多く演奏されている作品と言われます。グレゴリオ聖歌の影響を受けているものの、短調に翻訳されたメランコリックな美しいメロディーに、北欧の澄んだ光のようなハーモニーが施されています。彼はウビ・カリタスによほど強いインスピレーションを受けたのか、無伴奏の「Ubi caritasⅡ」と、オーケストラ伴奏つきの「Ubi caritasⅢ」まで創作しています。
3曲目の「Northern Lights」(北極光/オーロラの意味)は、イェイロが2007年にノルウェーの首都オスロに滞在している時に見たオーロラの印象を表そうと作曲された美しい小品です。ノルウェー南部に生まれた彼は必ずしもオーロラに慣れ親しんでいたわけではないそうですが、この曲には彼が生まれて何度目かに見たオーロラに感じた美しさ、深遠で恐ろしいほどの自然の美しさが刻み込まれています。 歌詞は旧約聖書の「ソロモンの雅歌(がか)」。紀元前の古代から歌い継がれた愛の歌から採られています。恋の相手の「じっと見つめていることの出来ない、恐ろしいほどの美しさ」を歌う詩。擬人化されたオーロラへの賛美が、恐れを孕みながらも静かに、しかし緊張感をもって歌われるこの作品は、北方の自然の厳しさと美しさが感じ取れる佳曲です。
第3ステージは、寺山修司の詩による6つのうた「思い出すために」を演奏します。
作曲者である信長 貴富さん(1971年-)は、1994年に上智大学文学部教育学科を卒業後、公務員を経て1997年に作曲家として独立。作曲は独学であり、音楽の専門教育を受けた経験はありませんが、大学在学時から全日本合唱連盟の主催する「朝日作曲賞」に何度も入選し才能を認められました。信長さんご自身が、合唱活動を長く続けていたこともあり、作品は合唱曲が大部分ですが、歌曲や器楽曲にも積極的に取り組まれています。 親しみやすい小品から、無調的な作品まで、幅広い作風を持っており、ポップス調のリズム・和声を多用していることが特徴で、日本の合唱界でもっとも人気のある作曲家の一人です。ルミナス・コールもこれまで、混声合唱とピアノのための「新しい歌」、無伴奏混声合唱のための「カウボーイ・ポップ」、混声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」取り上げてきました。そしてこの「思い出すために」も、冒頭に書きましたとおり再演となります。
この作品は、2002年に女声版として作曲され、その翌年に女声版をもとに男声版が作られ、2004年にこの混声版が作られました。女声版と男声版は「うた」を際だたせるために2声で書かれ、2部合唱として充実した骨太の「うた」とするべく、飾り気のない寺山のテキストが選ばれたと言います。混声版で混声4部合唱となりましたが、4声体への編曲を信長さんは「旋律を四声の立体の中に置き、投射された新しい陰影を描きとる作業となった。混声という響きの広がりを伴うことで、寺山詩に滲む孤独の闇はより深いものになり、愛はより強い情念として表出されるだろう」と言います。
寺山 修司(1935年―1983年)は青森県に生まれた歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」を主宰。この他にも俳人、詩人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表しました。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になった。「生まれながらのトリック・スター」「サブ・カルチャーの先駆者」などの異名を持ち、メディアの寵児的存在として、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった人です。
1曲目の「かなしみ」、3曲目の「世界のいちばん遠い土地へ」、5曲目の「思い出すために」では寺山の持つ深い孤独の相を、これに対比して2曲目の「てがみ」、3曲目の「ぼくが死んでも」、6曲目の「種子(たね)」では寺山の持つ愛に満ちたロマンチストの相を、信長流の解釈で描きだしています。
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のステージタイトルは、「ルミナスのおと」。15年にわたるルミナス・コールの活動の歴史を綴るノ―トであり、刻み続けてきた音楽の振り返り・・・でもあります。さて、ステージの舞台は、横浜市内のとある中華料理屋。時刻は月が輝きだす夕方。某?合唱団の第15回目を記念する演奏会の企画ステージを検討するメンバーたち。そこに、常任指揮者である小久保先生も入って、あれやこれやと議論は進みますが・・・。さて、以降は会場にお越し頂いてのお楽しみ・・・です。
さて、今年の定演は、冒頭にも書きましたが、私達の15回目のお祝いの気持ちを密かに込めた、演奏会です。もちろん、15回目は一つの通過点でしかありませんし、お越し頂くお客様には関係のないこと・・・かもしれません。ですから、私達の気持ちが空回りや押しつけにならず、良い演奏でお届けできるよう、頑張りたいと思います。お祝いの仕掛け・・・は既にご紹介のように、随所にちりばめられています。仕上げは良い演奏で・・・それが私達の密かな意図です。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいます。そして、定演を終えたらまた新たな一歩を歩みだします。ルミナス・コール来年度の取り組みもおおよそ決まってきています。コンクールでもう少し・・・良い成績を収めるにはどうすべきか。練習をどう効率的・効果的に進めるか。そして、より本質的には、良い音楽を生み出す、良い人のネット―クをどう築くか・・・既に様々な検討と取り組みが始まっています。
このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2016年3月)
2015年3月時点での過去、現在そして未来
テノール パートリーダー 安井 勲
2015年4月12日(日)、神奈川県青少年センターで、14回目の定期演奏会を行います。
去る2月7日(土)、8日(日)の2日間、横浜市内の公会堂で定演に向けた強化練習を行い、今年の演奏会の全貌が見えてきました。年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年は小久保大輔先生の指揮により、ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナのアカペラ宗教作品、現代のアカペラ合唱作品集、團伊玖磨さん作曲の「混声合唱曲 岬の墓」、そして企画ステージをお送り致します。ルネサンス期のアカペラポリフォニー作品、邦人作品、企画ステージという三つの柱に加えて近現代のアカペラ合唱作品への取り組みは、一昨年から取り組んでいる一つの型です。そして、邦人の合唱作品については古典・名曲に取り組んでおり、昨年は高田三郎さんの「水のいのち」に、そして今年は「岬の墓」にチャレンジ致します。
第1ステージは、パレストリーナ(1525年頃-1594年)のアカペラ宗教作品で、Super flumina Babylonis(バビロンの流れのほとりに)を演奏致します。パレストリーナはルネサンス末期のイタリアの作曲家です。多声部の旋律が複雑に絡み合うポリフォニーでありながらも、歌詞の抑揚や言葉が明確に聞き取れる工夫がなされ、バス声部を基にした充実した和声進行と流麗な旋律、清純で透明な音楽は、当時の教会音楽の理想形とされ、「パレストリーナ様式」と呼ばれます。「バビロンの流れのほとりに」は、紀元前6世紀に新バビロニアとの戦に敗れたイスラエルの民が、シオン(エルサレム)からバビロンに強制移住させられた「バビロン捕囚」の故事を背景にしており、歌詞は旧約聖書・詩編137の前半のみをテキストとしています。
故郷を離れ、異教者の慰みにシオンの歌を歌えと信仰を侮蔑され、そうするくらいなら手は折れて声は枯れてしまえと、絶望の中で望郷の想いと信仰、破壊者に対する報復を願う詩となっています。宗教的な本質理解は大変難しいものがありますが、この作品はパレストリーナの代表作品であり、美しく繊細な響きの中にある哀切の思い・・・をお伝えできればと思います。
第2ステージは、「同じテキスト」による、「異なる国の作曲家」による作品の歌い比べ、聴き比べをコンセプトに、現代アカペラの宗教作品集を編んでいます。各国を代表する作曲家、あるいは現在旬な作曲家による、名曲・代表作品集・・・となりました。
一つ目の組み合わせは、Ubi caritas(慈しみと愛のあるところ)をテキストとした、フランスの作曲家モーリス・デュリュフレと、ノルウェーの作曲家オラ・イェイロの作品です。
ウビ・カリタスは、最後の晩餐を記念する聖木曜日のミサで行われる、洗足式という儀式の際に歌われる聖歌。最後の晩餐の時、使徒達の足をみずから洗った主が、「私は主または先生であるのにあなたたちの足を洗ったのであるから、あなたたちも互いに足を洗いあわなければならない。私がしたとおりあなたたちもするようにと私は模範を示した」と話したことに基きます。キリストが使徒たちにされたように、司祭は選ばれた信徒一人一人の前に立ち、足に水を注いで拭く、この間に交唱(2組の合唱隊が交互に歌う形式)される聖歌です。洗足によって外部の汚れが取り除かれたように、私達の内部の汚れ(罪)も清められるようミサの祈願に続きます。
デュリュフレ(1902年-1986年)のウビ・カリタスは、彼の代表作の一つである「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット」の一曲目。この作品集は中世から伝わるヨーロッパ音楽の源流ともいえるグレゴリオ聖歌を親しみやすい形で表現しており、彼のウビ・カリタスは、グレゴリオ聖歌に見た奥行きと広がりを、交唱のスタイルも踏まえつつ音符に結実させています。
イェイロ(1978年-)のウビ・カリタスは、2007年 29才の作品であり、彼の作品の中で最も多く演奏されている作品といわれています。この作品もグレゴリオ聖歌の影響を受けているものの、デュリュフレの作品よりオリジナルです。短調に翻訳されたメランコリックな美しいメロディーが、北欧の澄んだ光のようなハーモニーをまといます。
二つ目の組み合わせは、Ave Maria(めでたし、マリア)をテキストとした、スペインの作曲家ハビエル・ブストーと、アメリカの作曲家モートン・ローリゼンの作品です。
アヴェ・マリアは、ラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」「おめでとう、マリア」を意味する言葉で、聖母マリアへの祈祷を指します。この祈りは典礼行為ではなく、私的な信心業として伝わるもの。グレゴリオ聖歌をはじめ、さまざまな楽曲が創られています。
ブストー(1949年-)はスペインのバスク地方生まれの作曲家・合唱指揮者。
幼い頃に聖歌隊に所属し、ソプラノソロを歌っていました。やがて内科医となるものの、作曲を独学で習得。作品は合唱曲がほとんどであり、その多くは混声合唱、女声合唱のための宗教音楽です。1980年に作曲したこの作品について、ブストーはこう語ります。「私はドビッシー、ラベル、ストラビンスキー等に影響を受けた。アヴェ・マリアについて多くの人々がこれらの作曲家の要素が含まれていると言う。でも大切にしたいことは、私たちが、神様にガードされている、という心です」。短い作品ながら、スペインの太陽を思わせる明るさと、バスクの人々を思わせる暖かさに満ち溢れた感動的な作品です。
ローリゼン(1943年-)はアメリカの作曲家。ルミナス・コールはこれまで彼のO Nata Lux (1997年)とO Magnum Mysterium (1994年)を歌ってきました。Ave Maria (1997年) で3作品目となります。彼の音楽の魅力は、美しいメロディーと温かいハーモニーの中に忍ばせた4度、7度、9度などの音が、心地よく響くことであり、この作品もそうした魅力満載。ブストーの作品に比べ多声部に分かれ、長大で重厚な作品です。
第3ステージでは、混声合唱曲「岬の墓」を演奏します。
「岬の墓」は、堀田善衛さん(1918年-1998年)の象徴詩に、團伊玖磨さん(1924年-2001年)が作曲を施した、単一楽章の作品です。なかなか難解な作品ですが、指揮を頂く小久保先生にプログラムに書いて頂いた作品紹介から、一足早くその一部・・・をご紹介させて頂きます。
『海のうねり日のかがやき風のそよぎ。言葉を持たないそのはじまりから音楽には自然の力が満ち満ちています。しかしこの詩には有機的に動くものは何ひとつ現れません。日は高く。空へつきぬける声を定点としてはじめに映るのは海に漂う白い美しい船。つづいて岩の間に咲く赤い花。そして岬の白い墓。この詩に現れる存在はこれですべてです。海にゆられている美しい船は現在にある自己。その船へはるか水平線の先にある未来を目指し船出せよと力強い言葉が与えられます。別の大洋を目指す船のうしろの丘にある白い墓は未来に対しての過去。その墓の下には暗い影と永遠の安らいがあることが感情を超越した音で表されます。自然は絶え間なく動き再び音と言葉が船出せよと促します。 しかし目指す未来はそこへ辿り着いたならばすでに未来ではなく現在ですらありません。 辿り着けぬ未来と絶えず蓄積されていく過去。その過去へ対峙し耳を澄ませる自己は未来に在るのでも現在に在るのでも過去に在るのでもなくただそこに在るだけなのかもしれません。自己が自己を知るそのとき。声なき声は声となり祝福の鐘が鳴りわたります。日は高く。その光は海に丘にそそがれ白い船は日の高さとさえ等しくなりすべての存在はひとつに結ばれます。青に彩られた自然の中にある白い船と白い墓。日は高く― 赤い花は詩の中でただひとつの生命あるもの。生命という神秘によって自己は存在しています。なぜそうなのかは誰にもわかりません。しかしわからないと思う自己は確かにここに在るのです。何がわからないのかすらわからない私たちを肯定するように作品は閉じられます。』
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のステージはズバリ、「THE SOUND OF MUSIC」です。
大変有名なミュージカル作品であり、現在も世界各地で演じられています。また、1965年にジュリー・アンドリュースのマリア、クリストファー・プラマーのトラップ大佐で作られた映画は不朽の名作です。今回はこの名作ミュージカルのナンバーを、小久保先生の解説で・・・楽しくお届け致します。
今年の定演は、常任指揮者である「小久保先生プロデュース」です。例年に増して・・・小久保先生の思いの詰まった定期演奏会です。
まず、プログラムの中心にある「岬の墓」には、小久保先生の祖父であり、オペラと合唱の大指揮者である福永陽一郎さんへの深い思いがこもります。先ほど一部をご紹介した定演の作品紹介に、その思いもしたためられていますので・・・、詳しくはご来場頂きパンフレットをお読み頂ければと思います。
そして、企画ステージの「THE SOUND OF MUSIC」も、福永先生直伝?のオペラの血を受け継ぎ、ご自身もミューカルの指揮をされる小久保先生の発案。指揮はもちろん演出、そして本番でこのミュージカルとナンバーの素晴らしさをご紹介頂くMC(司会進行役)まで・・・お勤め頂きます。小久保先生の魅力全開です。
新入団員が少なく、団員の減少と高齢化を心配していたところですが、この一年間は女声、男声とも、新入団員を迎えることができました。合唱団という意味で、特定のバックグラウンドを持たない私達としては、団員の確保は切実な問題ですが、この一年間の新人諸氏の入団は、大変ありがたいことです[一言付け加えますと、私の属するテノール(男声の高音パート)は、まだまだ多くの新人を・・・お待ちしています]。
そして、来年度は、15回の定期演奏会を迎える節目の年。一つの団体として15年も活動を続けると・・・成長と進化を重ねる一方で、様々な課題も現れてきます。
一つは、価値観の多様化ともいうべき現象だと感じています。幅広い年代の新しい団員が増えるということは、それだけ団内の思いや価値観も増えて行くことになります。古くからの団員の気持ちも変化します。そうした中で、コンクールは何のために出るのか、ボランティア活動とは何なのか・・・など、問い直しが始まっています。
また、役員として団の活動をリードするリーダー層の世代交代も差し迫った問題です。創団以来の活動を支えてきたメンバーが60才を超えるようになり・・・、どのようにして30才代、40才代の団員にリーダーを引き継いで行くか、大切な問題です(なんと!! 次年度からルミナス・コールの団長は、ルミナス初の女性団長となります)。
そして、リーダーが交代して行く中で、ルミナス・コールの価値観は見直され、発見され、再定義されて、進化し続けることでしょう。変えるべき価値観は何で、変わらぬ価値観は何なのか。大切にすべき活動は何で、見直すべき活動は何なのか。
そうした話し合いを積み重ねながら、ルミナスは次年度の活動に向かいます。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいます。このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。
いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2015年3月)
2014年3月時点での過去、現在そして未来
テノール パートリーダー 安井 勲
2014年4月13日(日)、鎌倉芸術館の小ホールで、13回目の定期演奏会を行います。
去る2月8日(土)、9日(日)の2日間、三浦海岸の根本荘で恒例の春合宿を行い、定演に向けた詰めの練習を行うはずだったのですが・・・、関東地方はあいにくの大雪に見舞われ、三浦半島も40数年ぶりの大雪に包まれました。午後3時過ぎには京浜急行が止まり・・・、土曜日は根本荘に到着できない団員も多数おりました。雪に閉じ込められた根本荘では、ボイトレの永澤先生を中心に、19人のメンバーでアカペラ曲の練習をみっちりとやり・・・、日曜日にようやく電車が動き出し、常任指揮の小久保先生とピアニストの名取先生、昨日来られなかった団員を迎え、全員で練習することができました。 終わってみれば楽しい思い出ですが・・・、関東地方は翌週末も大雪に見舞われ、満足な練習ができなかったことなどもあり、若干の焦りがないこともありませんが・・・、ようやく今年の演奏会の全貌が見えてきました。年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年は小久保大輔先生の指揮により、ジョスカン・デ・プレのアカペラ宗教作品、近代アメリカのアカペラ合唱作品集、髙田三郎さんの「水のいのち」、そして企画ステージをお送り致します。ルネサンス期のアカペラポリフォニー作品、邦人作品、企画ステージという三つの柱に加えて近現代のアカペラ合唱作品への取り組みは、昨年から取り組んでいる一つの型ですが、今年は邦人合唱作品の古典であり名曲の「水のいのち」にチャレンジ致します。
第1ステージは、ジョスカン・デ・プレ(1440頃-1521)のアカペラ宗教作品で、Salve Regina (めでたし元后)を演奏致します。
ジョスカンはフランドル地方(北フランス)の出身で、デュファイ、オケゲムとならび15世紀ルネッサンス音楽の最盛期を飾る巨匠です。Salve Reginaは、聖母マリアへの賛歌であり,キリストを身ごもられた聖母マリアの慈愛をたたえます。グレゴリオ聖歌の定旋律「サルヴェ(幸いなるかな)」のメロディーを繰り返し各声部に受け継きながら、模倣して追いかけるカノンになっていて、それぞれの旋律が波のようにただよい調和して聞こえます。あたかもマリアに託す多くの人々の祈りの声が、そこにあるかのようです。
第2ステージは、近代アメリカの、アカペラ合唱作品集。クラウセン、ウィテカー、バーバー、ローリゼンという20世紀から現在までの、アメリカを代表する作曲家による珠玉の作品集をお送り致します。
最初は、ルネ・クラウセン(1953年-)のPrayer(祈り)。クラウセンは宗教曲から世俗曲まで多様なテキストを用い、ロマンティックな旋律と色彩豊かなハーモニーが特徴。状況に応じた多様な作品を数々生み出しており、柔軟性のある音楽家として評価されています。Prayerは、マザーテレサの敬虔な祈りのことばをテキストとしています。音楽は、なめらかで美しい旋律で始まり力強いハーモニーを導き出します。そして、万華鏡のような転調を経て、魂の救済の境地を描き出すかのような輝かしく豊かな音楽に転じ、最後は温かく平穏な和声で閉じます。
2曲目は、エリック・ウィテカー(1970年-)のLux Aurumque(黄金の光)。ウィテカーの作品はパート分けが細かく、2度、7度、9度の和声を駆使し、とても緊張感があり幻想的なサウンドを紡ぎ出します。Lux Aurumqueはキリストの誕生がテーマ。全体を貫く特徴的な継続する音と離れる音の並列は、生命の誕生を予感させる光のたゆたいを現わすかのようであり、教会の響きを再現するようでもあります。
3曲目は、サミュエル・バーバー(1910~1981)のTo be Sung on theWater(水の上にて歌える)。バーバーは20世紀のアメリカを代表する作曲家の一人です。西洋音楽の伝統に従った書法で、ロマンティックな旋律と豊かなハーモニーが特徴。ケネディの葬儀でも使われた管弦楽作品を、合唱作品に編曲した「Agnus Dei」が有名で彼の作風が表れています。To be Sung on the Waterはアメリカの女流詩人ルイーズ・ボーガン(1897~1970)の詩に作曲された作品。”Beautiful, my delight”(美しい、私のよろこびよ)というフレーズが、心のしじまの中で彷徨っているかのような旋律と、時の流れ、光と影、純粋さと悔恨の念・・・といったことを抽象的ながら歌う旋律とが、男声と女声の間で反復し、並立し、交錯し、最後にまた静寂のなかに帰ってゆく。短い曲ですが深みのある作品です。
4曲目は、モートン・ローリゼン(1943年-)のO magnum mysterium(おお大いなる神秘)。今の合唱界を代表する重鎮の一人で、ラテン語による宗教作品を多く作曲する一方、フランス語やイタリア語のテキストによる作品も好評を博しています。O magnum mysteriumはキリストの誕生をテーマにした、ラテン語の有名なテキストです。ローリゼンの作品は美しいメロディーと温かいハーモニーの中に忍ばせた4度、7度、9度などの音が、心地よく響くことが特徴です。ローリゼンの代表作でアメリカの歌のステージを締めくくります。
昨年は近代イギリスアのカペラ合唱作品に取り組み、今年は近・現代アメリカのアカペラ合唱作品に取り組みます。イギリスは教会音楽の伝統を今も受け継ぐ合唱王国であり、大家の作品はどれも正統的で品格を兼ね備えた作品でした。アメリカの合唱作品はアメリカという国自体が若いので、西洋音楽の伝統が良い意味で浅いとも言えます。合理性や進取の精神みたいなことをベースにしつつ、それぞれの作曲家が個性を生かしながら、魅力的な作品を生み出しています。パーバー以外は存命中で、今も旺盛な作創作活動を続けています。
第3ステージでは、髙田三郎さんの混声合唱組曲「水のいのち」を演奏します。「水のいのち」は、1964年に高野喜久雄さんの詩に髙田さんが作曲した邦人合唱作品の古典であり名曲です。髙田さんは1913年12月18日に生まれ、2000年10月22日に没しており、2013年は彼の生誕100年、また2014年は水のいのちが生まれて50年目の節目あたり、全国の多くの合唱団がこの作品を取り上げています。
髙田さんは言います。「あのころ私は既に、この組曲《水のいのち》の中の<海>を書き上げていた。・・・当時、電車の駅やホームの壁に張り付けられた映画のポスターなどは、まことに目に余るものがあった。肉体というものをあのように露骨にさげすみ、低劣、低俗なものとして扱い、それがまたあのように氾濫し、当たり前のことになっているのを、ただ顔をそむけているだけでよいのかと私は思った。ひとりの力は小さくとも、ただひとりでも、これに対抗しようと思ったのである。人の肉体はよいものであり、もっともっと大切にされなければならないのであるが、人にはまた精神というものもあり、その精神が賛成しているのでなければどのような生き方をしても、人はそれに満足することはできない。その「精神」に目と心を向けてもらうために、この<海>を含む合唱組曲を書こう、と私は決めた。・・・まず、私は高野喜久雄さんに電話し、私の考えを話し、彼の詩集『存在』の中から、すでに狙いをつけていた<水たまり>と<川>を「読む詩」から「きいてわかる詩」になおしてもらうことを頼んだのであった。それらが送られて来、そして作曲を了えたのち、第一曲<雨>を、そしてそれも了えたのち、終曲のための長い詩<海よ>を書いてもらうという順序で選んでいったのである。」
「雨」は、いかなる状況の者にもやさしく慈愛の雨が降り注ぐ様子を。
「水たまり」は、注いだ雨が水たまりとなり、その泥が人間社会の醜さを映し、水たまりの水面が美しい空を映すことで、人の焦がれる気持ちを。
「川」は、語り手からの疑問、呼びかけと、それへの応えとして逆巻く川の激流が代弁する、人間の生きる悲しみや憧れを。
「海」は、全てを湛えて受け入れていく海の静かなさまを。
「海よ」は、海に戻った水のいのちが再び空に昇り、雨となり川となり、また輪廻を繰り返す生の悲しみや喜びを、それぞれ描き出します。
髙田さんは言います。「水のいのちを英訳すれば・・・ほんとうの訳は"The Soulof Water"と思っている。"Soul"すなわち「魂」とは「それがあれば生きているが、それを失えば死んでしまうもの」なのである。そして、水の「魂」とは、低い方へ流れていく性質のことではなくて、反対に「水たまり」は「空を映そうとし」、「川」は「空にこがれるいのち」なのであって、それはまた、私たちの「いのち」でもあり、この組曲の主題でもあるのだ。」
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のステージタイトルは「タベルナ!」。詳しくは定演にお越し頂き、見て、聞いて頂いてのお楽しみですが・・・、一端をご紹介致しますと、童歌からクラシック、アメリカの映画音楽、ポップスまで、様々な曲を交えながら、「食」にまつわる話をお芝居も交えて、楽しくお届けしたいと考えています。
今年の定演の中心にある「水のいのち」は、常任指揮者である小久保大輔先生の一言、「合唱人として、水のいのちを歌ったことがなくて、良いのでしょうか・・・」から始まりました。私たちの合唱団は、特定の大学や高校のOB合唱団ではありませんので、合唱についての経験や土台は様々です。そんな混成部隊ながら13年の時間が過ぎ、様々な合唱作品にチャレンジし、実力を磨こうとしているわけですが・・・、率直に言えばともすれば背伸びをし過ぎてしまい、残念ながら消化不良に終わることもあります。そうした状況を捉えて、小久保先生は、音取りや詩の理解に不明なところがなく、音楽自体の深みに入り深められる作品に取り組むこと。それが邦人合唱作品の名曲「水のいのち」であると示唆されたのだと感じました。 小久保先生は、「水のいのち」の名演も多数残した、オペラと合唱の大指揮者である福永陽一郎先生のお孫さんです。その小久保先生が解釈する「水のいのち」は、余分なものを削ぎ落とし、端正かつ深みがあります。「水のいのち」は文字通り定番ですので、既に何回も歌ったことのあるベテラン団員もいますが、初めて歌う団員が大半です。今は小久保先生の指揮について行くのが精一杯ですが・・・、本番では過去の演奏の手垢のついていない、フレッシュで端正な演奏をルミナスらしくお届けしたい・・・と思います。
ここ数年、新入団員が少なく、団員の減少と高齢化?が心配になるこの頃です。妙に多かった男声陣?も働き盛りとなり、練習を休みがちになったり、休団を余儀なくされる団員もいます。そうした不安材料もありますが、一方では小久保先生が指揮をされている大学合唱団のOBの方々が見学に来てくれたり、入団してくれる方もいらっしゃいます。先にも書いたとおり、私たちは合唱という意味では、特定のバックグラウンドが無いぶん苦労しているわけですが、別な見方をすれば何のしがらみがないので、毎年新鮮な気持ちで活動を重ねることができるのではないか、とも思っています。
来年度に向けた活動の検討も始まっています。合唱団と歌い手の基礎体力を養う海外のアカペラ作品にどう取り組むか。「水のいのち」に次ぐ邦人の名曲定番作品は何でどう取り組むか。コンクールへの取り組みは・・・など、考え始めています。 ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいます。このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。
練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2014年3月)
2013年3月時点での過去、現在そして未来
テノール パートリーダー 安井 勲
2013年4月28日(日)、鎌倉芸術館の小ホールで、12回目の定期演奏会を行います。
去る2月9日(土)、10日(日)の2日間、三浦海岸の根本荘で恒例の春合宿を行い、その後定演に向けた詰めの練習を重ねる中で今年の演奏会の全貌が見
えてきました。年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年は、常任指揮者の小久保大輔先生の指揮により、ヴィクトリアのアカペラ宗教作品集、近代イギリスのアカペラ合唱作品集、信長さんのピアノ伴奏つき混声合唱組曲、そして企画ステージをお送り致します。ルネサンス期のアカペラポリフォニー作品、邦人作品、企画ステージという三つの柱は、ルミナス・コールとして取り組んで行く音楽の分野を整理した一つの形ですが、今年は我々自身のチャレンジとして、近代イギリスのアカペラ合唱作品集にも取り組みます。
第1ステージは、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア(1548頃~1611)のアカペラ宗教作品集で、Ne timeas, Maria(マリアよ 畏れるな)と、O magnummysterium(偉大な神秘)の2曲を取り上げます。ヴィクトリアは、繁栄を謳歌する16世紀のスペインが生んだ、ルネサンス期最高の作曲家の一人であり、情熱を感じさせる劇的な激しい表現と、宗教的な神秘性が特徴です。Ne timeas, Maria(マリアよ 畏れるな)は、処女マリアの前に天使ガブリエルが現われ、イエスを身ごもることを告げる場面を。O magnum mysterium(偉大な神秘)は、羊飼いたちがベツレヘムの宿で、飼葉桶に寝ている幼な子を探しあてる場面を、それぞれ題材にしており、イエス誕生の告知から誕生までを、ヴィクトリア作品を通じてドラマチックに表現します。
第2ステージは、近代イギリスの、アカペラ合唱作品集。ディーリアス、V・ウィリアムズ、ハウエルズ、ウォルトンという20世紀を代表する作曲家による、珠玉の作品集をお送り致します。
最初は、フレデリック・ディーリアス(1862~1934)のTowunaccompanied partsongs to be sung of a summer night on the water(2つの無
伴奏パートソング 夏の夜、水の上にて歌える)から1曲目。ディーリアスは、自然の印象を描いた管弦楽作品が有名ですが、無伴奏の合唱作品は多くはありません。この作品には歌詞がなく、母音だけで歌うボカリーズであるのも特徴で、言葉による意味がないだけに、いっそう水彩画のような美しさが際立ちます。
2曲目は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)の、Prayerto the Father of Heaven(天の父への祈り)。V・ウィリアムズは、フランス音楽の色彩感を取り入れつつ、イギリスの朴訥な旋律と懐古的なロマン派様式を基に、穏健な近代イギリス音楽の礎を築いたと言われる作曲家です。この作品は、天の父への敬虔な祈りの心情がテーマであり、宇宙的とも言えるハーモニーと美しいメロディで紡ぎ上げます。
3曲目は、ヒューバート・ハウエルズ(1892~1983)の、Sing Lullaby(子守唄を歌って)。ハウエルズは、V.ウィリアムズから大きな影響を受けた作曲家達の中で、彼の模倣に止まらず、独自の語法を確立した数少ない作曲家の一人と言われています。ディーリアスは「ハウエルズは響きの塊で考える」と言ったそうですが、この作品も、最初と最後の再現部に現れる3声部による短3和音の響きや、中間部の4声の響きがとても美しく印象的です。しんしんと雪の降り積もる冬の夜の静寂と緊張感の中、救い主が生まれた喜びと、そのみどり子に子守唄を歌う・・・と言う暖かな優しさに満ち溢れています。
最後は、ウィリアム・ウォルトン(1902~1983)のWhat cheer?(ごきげんいかが? とってもごきげん!)。ウォルトンは、先輩のV・ウィリアムズや一世代若いブリテンらと共に、20世紀イギリスを代表する作曲家の一人。この作品は、「4つクリスマスキャロル」という、無伴奏合唱曲の中の1曲で、2分足らずの小曲ですが、キリストの誕生を祝う、リズミカルで明るい曲。ディーリアスの自然への、そしてV.ウィリアムズの神への賛歌、ハウエルズのキリスト誕生の喜びに続いてこの作品は、イギリスの歌のステージを締めくくるのに相応しい作品です。
昨年のコラムにも書きましたが、昨年の定演から、それまで敬遠してきたルネサンスポリフォニーを意識的に取り上げるように致しました。声作りとアンサンブル力のトレーニングを目的としてですが、最近では単にトレーニングの域を越えて、音楽を楽しめるようになって来たと感じています。そこで今年は、ルネサンスポリフォニーに止まらず、近代のイギリスアカペラ合唱作品にチャレンジすることと致しました。
イギリスは教会音楽の伝統を今も受け継ぐ合唱王国であり、大家の作品は正統的で品格を兼ね備えた中に、色彩感や機知に富んだ優れた作品ばかり。これらの曲を演奏するには、ルネサンスポリフォニーとは異なる応用力が必要となりますが、大家の作品に胸を借りて、精一杯の表現をしてみたいと思います。
第3ステージでは、信長 貴富さん作曲の、混声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」を歌います。信長さんは、1971年のお生まれで、上智大学文学部教育学科の卒業ですが、作曲を独学で勉強し、数多くの作曲賞を受賞されています。ご自身、大変な合唱好きで、学生時代から長く合唱団で歌っておられたとのこと。深くなじんできた多くの作品の蓄積のうえに立ち、天賦のメロディメーカーとしての才能が加わり、またポップス調のリズムや和声も多様することにより、聴く人と歌う者の心を捉えて離さない、現代の名曲を生み出されています。
今回演奏する、混声合唱とピアノのための「くちびるに歌を」は、2006年に男声合唱曲として作曲された作品を、2007年に混声版に編みなおしたものです。ドイツとオーストリアの異なる詩人の4つの作品~曲順にヘルマン・ヘッセ「白い雲」、ウィルヘルム・アレント「わすれなぐさ」、ライナー・マリーア・リルケ「秋」、ツェーザー・フライシュレン「くちびるに歌を」~に作曲されています。
1曲目の「白い雲」では、ふるさとを愛しながら、また同時に定めない白い雲のように形を変えるものを希求し、放浪の旅を求めてやまない青春の心を。
2曲目の「わすれなぐさ」では、岸辺に咲く一本の勿忘草の元を寄せては去って行く川の流れ。人生もそれに似て、多くの出会いと別れを繰り返しながら日々を過ごし去っていく、切なさやはかなさを。
3曲目の「秋」では、重力に抗うかのように落下してゆく木の葉が暗示する挫折や死。抗いようも無く訪れるそうした苦難と、それを受け止めてくれる人知を超えた存在の慈悲の心を。
終曲の「くちびるに歌を」では、前3曲に現れたような人生の諸断面(期待と迷い、喪失や寂寥、挫折や絶望、死と救い・・・)を踏まえ、どんなにつらいときでも「心に太陽」、「くちびるに歌」を持ち、なやみ、苦しんでいる他人のためにも「言葉」を持つ、そんな人間でありたい、と訴えかける人としての矜持を、高らかに歌い上げます。
そして、最後の第4ステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のテーマは「コ・ど・も」です。詳しくは定演にお越し頂き、見て、聞いて頂いてのお楽しみですが・・・、一端をご紹介致しますと、クラシックから童歌、アニメソング、Jボップスまで、様々な曲を交えながら、自分自身の子供時代の懐かしい思い出、自分の子供のこと。不思議な子供の世界、子供たちへのメッセージなどを、お芝居も交えて、楽しくお届けしたいと考えています。
春合宿を終えた後の打ち上げの際に、小久保先生が、「今年の定演は、愛に満ちたステージですね・・・」と、つぶやかれました。
これまで申し上げたとおり、ヴィクトリアでは新たな命(イエス)の誕生の神秘を。イギリスの歌でも大自然と神への賛歌、キリスト(救い主)生誕の歓びと歓喜を。信長作品では、どんなにつらいときでも心に太陽、くちびるに歌を持って、悩み、苦しんでいる他人のための言葉を持とう・・・と歌います。最後の企画ステージでも、子供をテーマに、過去から現在、未来にかけて連綿と繋がる命の素晴らしさと未来への希望・・・というようなことを歌います。選曲に当たって、そこまでの繋がりを意識してはおりませんでしたが、慈愛とか温もり、繋がり・・・ということに気づいたとき、私は昨年11月に逝去された杉村 俊哉先生のお姿を、思い出さざるを得ませんでした。
杉村先生には、ルミナス創成期から客演指揮者として、モーツアルトやメンデルスゾーン、ブラームス、フォーレなど、ロマン派の音楽をご指導頂きましたし、ボイストレーナーとしても発声の基礎と応用はもちろん、歌い手としての姿勢と言うようなことまで、学ばせて頂きました。
杉村先生を失った悲しみや喪失感は拭えませんが、他方で杉村先生が今年の歌たちを導いてくれたような、不思議な充足感や幸せ・・・を、私は小久保先生の一言から感じました。定演にはきっと、杉村先生も聴きに来て頂けることと思いますので、精一杯良い歌を歌いたいと念じています。
ここ数年は、見学者や新入団員が少なく、団員の減少と高齢化?が心配になるこの頃でしたが、今年に入って見学者が増え、入団して頂ける方や転勤から戻って復団頂ける方が増えつつあり、そうした面からの活気も、蘇りつつあるような感じがしています。団員の皆さんはいずれも働き盛り、子育て盛りで、公私ともに忙しいさなかですが、週末のひと時、練習場に来て、仕事や家庭の日常とは違う世界で、日常とは違う感性や身体・・・を使うことが、かえってリフレッシュにつながるようです(つい先日も、シンガポールに転勤した元団員が、一時帰国した際に練習に来てくれて、楽しく飲みました)。
来年度に向けた活動の検討も始まっています。合唱団と歌い手の基礎体力を養う海外のアカペラ作品に、どう取り組むか。日本に生きる我々が表現すべき邦人作品は何で、どう取り組むか。そのための来年度の選曲は・・・、コンクールへの取り組みは・・・など、考え始めています。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいます。このコラムをお読み頂き、興味を持って頂けましたら、ぜひ4月の定演に足をお運び頂き、私たちの演奏をお聴き頂ければ・・・と思います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2013年3月)
2012年2月時点での過去、現在そして未来
テノール パートリーダー 安井 勲
2012年4月29日(日)、鎌倉芸術劇場の小ホールで、11回目の定期演奏会を行います。
去る2月25日(土)、26日(日)の2日間、三浦海岸の根本荘で恒例の春合宿を行い、今年の演奏会の全貌が見えてきました。年に一度、私たちの活動
の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年も演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
今年も、常任指揮者の小久保大輔先生の指揮により、アカペラ宗教作品、邦人作品、そして企画ステージをお送り致します。この三ステージ構成は、ルミナス・コールとして取り上げるべき音楽の分野を整理し、常任指揮者の小久保先生による統一的な音楽作りを目指した一つのかたちであり、今年も継続致します。
第一ステージは、アカペラ宗教作品のステージです。長らく敬遠?してきたアカペラ宗教作品に、昨年から意識的に挑戦しています。
ルミナス・コール草創期からお世話になっている杉村先生、永澤先生に、ボイストレーニングとアンサンブルトレーニングをお願いし、合唱団としての基礎力の充実を目指しています(今ではトレーニングの域を超えて、アカペラ宗教作品も、ずいぶん楽しめるようになっています)。このステージではラッスス、パレストリーナ、ビクトリアと言う、ルネサンスポリフォニーの大家の作品を取り上げます。
一曲目はフランドル出身の作曲家であるラッスス(1532年- 1594年)の、Super flumina Babylonis(バビロンの流れのほとりに)を歌います。この曲は、紀元前597年に起きたとされる、バビロン捕囚の故事によります。聖地エルサレムを遠く離れ、バビロニアに捕らわれの身となったユダヤの民の、深い悲しみを歌います。続く、イタリア出身の作曲家、パレストリーナ(1525-1594)のEgo sum panis vivus(私は生きたパンである)は、救世主であるイエスが、皆の祖先は滅びてしまったが、自分を信ずれば、たとえ肉体は滅びても精神的には不滅であると諭す、ヨハネによる福音書のエピソードによります。そして、最後に演奏するスペイン出身の作曲家、ビクトリア(1548年-1611年)のO quam gloriosum estregnum(おお、栄光に輝く王国)では、イエスの父である神の国で諸聖人が豊かに暮らす、神の国の素晴らしさを輝かしく歌い上げます。
第二ステージでは、現代日本の作曲家、三善 晃(1933年1月10日-)の「五つの童画」を歌います。
この作品は、三善さんの代表作であり、邦人合唱作品の中でもひときわ輝きを放つ名曲。演奏技術的には高度なテクニックを要するにもかかわらず、現在も多くのアマチュア合唱団で歌い継がれています。高田敏子さん作の、童話のスタイルを借りた五つの物語で、
一曲目の「風見鶏」では、目が見えず耳も聞こえない風見鶏が、風のささやきに翻弄され、ついには死んでしまう皮肉を。
二曲目の「ほら貝の笛」では、かつてあった海や陸や人との繋がりを失ってしまったほら貝の孤独を。
三曲目の「やじろべえ」では、いつまでも両手に荷物を抱え実体なく生きる、やじろべえの虚無感を。
四曲目の「砂時計」では、決して取り戻すことできない失ったときの喪失感を歌います。
そうした、人生の過程で遭遇する様々な絶望や虚無の相を乗り越え、終曲の「どんぐりのコマ」は、生きる役割を与えられたどんぐりたちの、歓喜に満ちた大団円で幕を閉じます。
第一ステージ 第二ステージとも、悲しみや絶望から、生きる希望への回帰を歌います。
それはあたかも、昨年から今年にかけて、様々な不幸に見舞われ、明日への希望を失ったかのようなときを経験した、私達自身にも重なります。昨年のこのコラムは、震災がもたらした、私達自身の生活や合唱団の活動の混乱の様子と、そこからの回復への願いで閉じました。あれから約一年、未だに不安や不便は残っていますが、復興に懸ける多くの人々の力強いエピソードと共に、日本全体が立ち上がろうとしています。私達も、一時は練習場の確保にすら困っていましたが、徐々に、でも確実に、日常の平衡を取り戻し、定期演奏会を開くことができるようになりました。そうした私達の生活や活動の現実に、今回演奏する歌の意味を重ね合わせると、時間と空間を越えて連綿と繋がる、人間の強い精神のようなものを感じます。音楽の中にある、そうした深く強い精神のようなものを感じつつ生きる力をもらい、歌うことを通じてまた音楽に新たな命を吹き込む・・・、そんなふうに改めて歌うことの意味を感じます。
さて、最後のステージは、合唱を初めて聞く方にも楽しんで頂ける、聞いて楽しく見て?楽しい、企画ステージを今年もお送りします。今年のテーマは「ルミナス・スピリット」。先ほど申し上げたような音楽の奥底にある「精神」を、このステージでは黒人霊歌、日本の歌謡曲、ポップス・・・など、肩肘張らない音楽を通じてお伝え致します。詳しくは演奏会のお楽しみ・・・ですが、一端をご紹介しますと、現代イギリスの作曲家J.ラッター編曲による、黒人霊歌集から取り上げて演奏致します。
黒人霊歌は、遠くアフリカから奴隷として連れてこられた、アフリカ系アメリカ人の間に広まったキリスト教の賛美歌と、アフリカ独特の音楽感が結びついた音楽。故郷から引き離された恨みや悲しみの感情をベースに、自由を求める強い思いと、歌うことを通じて魂の安らぎや救済を求める、強い願いを感じます(一曲目の、バビロニアに捕らわれの身になったユダヤの民の心情にも通じるかもしれません)。また、日本の歌謡曲やポップスには、その時代の空気や雰囲気、時代の匂い・・・といったものが埋め込められており、あるときは喜びや安らぎ・・・、あるときは悲しみや失意・・・といった思い出と結びつきながら記憶のなかにあります。そんな歌たちと共に、私達が生きてきた時代と気持ちを振り返ってみたい。そして、喜びや悲しみを繰り返し、乗り越えながら、過去から現在、そして将来に向かって連綿と繋がって行く命の流れ、その中にいる自分。そうした思いを表現してみたいと思います。
ルミナス・コールでは今、女声団員の出産が相次いでいます。新しい命の誕生は大きな喜びですが、合唱団の活動にとっては、ときに困ったこと?にもなります。しかし、そんなことも、合唱団と言う生き物の歴史の一断面。子育てに苦労しながら、元気に練習場に戻ってきてくれるでしょうし、男声諸氏(社会人の混声合唱団にしては、男声がなぜか多く辞めない?のも特徴です)も忙しい仕事の合間をぬって、練習に駆けつけてくれることでしょう。ルミナス・コールは、特定の学校のOB合唱団でも、特定の先生に率いられた合唱団でもありません。普通の歌好きが集(っただけなはずなのに、割と)高い理想を掲げ、理想と現実のギャップに悩みつつ、でも何とかしようと努力を重ねている・・・、そんな団体です(練習もさることながら、ほぼ毎回ある、練習後の飲み会が充実している・・・と言う声もあります)。来年度に向けた活動の検討も始まりました。これまでの活動の蓄積うえに立ち、一歩でも半歩でも進化した活動をしたい。そのための来年度の選曲は・・・、コンクールへの取り組みは・・・など、考え始めています。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいますが、これから参加されてもまだ4月の定演に間に合います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
-以 上-
(2012年2月)
2011年3月時点での過去、現在そして未来
テノール パートリーダー 安井 勲
2011年5月29日(日)、横浜市桜木町の県立青少年センターで、10回目の定期演奏会を行います。
去る2月26日(土)、27日(日)の2日間、三浦海岸の根本荘で春合宿を行い、今年の演奏会の様子が見えてきました。年に一度、私たちの活動の現状と今後を紹介しているこのコラムですが、今年の演奏会のプログラムをご紹介しながら、今年の歩みとこれから・・・についてお話させて頂きたいと思います。
第1ステージは少し大きな宗教曲のステージで、前半はアカペラのルネサンスポリフォニー、後半はオルガンや金管などの伴奏のある現代の宗教作品集です。
このステージの軸となる曲は16世紀スペインの作曲家T.L.ビクトリアによるNetimeas,Maria と、現代イギリスの作曲家J.ラッターによるTe Deumです。ビクトリアは昨年の全日本合唱コンクールの課題曲で、ラッターを自由曲としてコンクールに参加し、県大会で銅賞を頂きました。
この2曲にはいくつかの思いが込められています。
その1つ目がルネサンスポリフォニーへの挑戦です。
これまでも私達は、バードやモンテベルディ、パレストリーナなど、ルネサンス期の作品にも取り組んで参りましたが、声の品質と純正なアンサンブル力を問われるアカペラポリフォニーは敷居が高く、しばらく遠ざかっておりました。しかし、今年はもう一度、真正面から取り組んだわけですが、その理由が今年の私たちの思いの2つ目で、これまでも客演指揮やボイトレでお世話になってきた杉村 俊哉先生、永澤 麻衣子先生にこれまで以上に時間を割いて頂き、声作りだけでなく、アンサンブルトレーナーとして声の具体的な使い方やアンサンブルの仕方についても多くの教えを頂きました。そして思いの3つ目がラッター作品です。冒頭にもご紹介したとおり、5月の定期演奏会は10回目の節目の演奏会であり、何を演奏するか皆で考えた結果がラッターのTe Deumです。オルガンと金管の伴奏を伴う華やかな神への賛歌で、祝典の雰囲気もありますし、8分程度の作品でコンクールの自由曲にもなる・・・と言うことで、ビクトリアと組み合わせて昨年のコンクールで取り組むことと致しました。
この2曲を軸として、前半のルネサンスポリフォニー作品集はT.タリス O natalux de lumine、J.ファート O quam gioriosumにビクトリアを合わせた作品集、そして後半の現代宗教作品集はM.ローリゼンのO NATA LUX、J.ラッター AGaelic blessingにTe Deum で、このステージを締めくくります。
このステージについてもう少し紹介させて頂くと、タリスとローリゼンのO natalux de lumine (光より生まれし光)を、最初と中盤に配しています。同じ言葉を元にした、違う作曲家の作品を組み合わせられることは、長い歴史を持つ宗教作品ならではの楽しみであり醍醐味です。ルネサンス時代から現在まで、連綿と繋がる祈りの心を繋ぐ橋渡しとしてO nata lux de lumine を配しています。そしてもう一つ、今回の演奏会のテーマを私たち横浜ルミナス・コールと言う団の名前の由来である「光」にしようとしており、「光より生まれし光」を歌うことは、必然でもありました。また、ファート作品は今年のコンクールの課題曲です。ポリフォニーステージの一つとして、神の国の素晴らしさを歌いたいと思いますし、コンクールへの取り組みも、少し早めに始めたいと考えています。
後半のA Gaelic blessingでは、ゲール人(アイルランド人)の素朴で真摯な祈りの言葉を、穏やかで美しいラッターのハーモニーに乗せて、オルガン伴奏とともにお送り致します。そして、オルガンに華やかな金管伴奏も加えたTe Deumで、このステージを締めくくます。
続く第2ステージでは、信長 貴富さんの「新しい歌」を歌います。実はこの作品をルミナスコール第1回の演奏会で、今回も指揮をして頂く常任指揮者の小久保 大輔先生の指揮で演奏致しました。「新しい歌」は信長さんの出世作で、現在も人気のある作品ですが、当時はまだ世に出たばかりの作品でした。新生ルミナスが、最初の演奏会で、当時まだ二十数才?の気鋭の若手指揮者である小久保先生と演奏する・・・そんな思いのこもった演奏であったことを思い出します。この作品は、オーソドックスなアカペラコーラスや、ソング調、ブルース調の曲、またフィンガースナップや手拍子付きのリズミカルな曲・・・など、いずれも「歌」をテーマにした、色合いの違う5つの曲から成る作品集です。10年前は思いは込めたつもりでも、肝心な声やリズムが付いてゆかず、何度も小久保先生に怒られた思い出も蘇ります。10年目の節目に当たり、もう一度この歌を新たな気持ちで小久保先生と歌いたい。そして、10年前よりは(少しは)進歩した音楽を皆様にお送りし、感動を共有したい。10年目の団員としては、そんな気持ちも込めて演奏したいと思います。(もちろん、最近入団された方々もたくさんおられますので、そうした方々はフレッシュな感動を込めて、この曲を歌われることと思います。)
最後は企画ステージです。私たちの演奏会の最後のステージは、合唱が始めての方にも楽しんで頂けるように、皆さんがご存知の曲を合唱でお届けしています。そして我々が「企画」ステージと呼んでいる所以は、毎回ストーリーが付き、役者が現れ芝居をし、時に踊りも付き・・・と、歌あり笑いあり涙あり?の筋書きと、演出の工夫をこらしていることです。今年の企画ステージがどうなるか・・・は、ご覧頂いてのお楽しみですが、きっと「光」のモチーフがちりばめられていることでしょう。
さて、今年の定期演奏会のプログラムを辿りながら、10年目の節目の演奏会として「光」をテーマにお届けすることをお話しました。そして今年のもう一つ大きな軸は、これまでの定演では客演指揮者をお願いしたり、団内指揮者もステージを受け持ち、選曲も演奏も色とりどりの様相がありましたが、今回は全てのステージの構成・選曲から常任指揮者の小久保先生とご相談して進めてまいりました。先ほどもご紹介したとおり、小久保先生とは第1回演奏会からお付き合い頂いており、お互いに、良いところも、足りないところも分かり合えるようになったこの頃、と感じています。そんな気心の通じ合った小久保・ルミナスペア、そして永らくお世話になっている杉村先生、永澤先生、ピアニストの名取先生の力も加えたチーム力で、10年間の歩みを確認したい、と思います。
まだまだ書き足りないことがあるような気がします。昨年は世界的巨匠のペータ・ダイクストラさんのレッスンと、神奈川県合唱連盟理事長の松村先生のレッスンを続けて受けられたこと。この頃、若い女声の新入団員を多く迎え、毎週の練習にもコンスタントに40人近くが出席するようになり、練習会場が手狭に思えるようになってきたこと。そして、先日の春合宿では小久保先生生と「来年はどうしましょうか・・・」と、次の活動について考え出していること・・・など、色々お伝えしたいことはありますが、また次の機会にご紹介させて頂きたいと思います。
ルミナス・コール今年度の活動は終盤に向かいますが、これから参加されてもまだ5月の定演に間に合います。練習日程はこのホームページに掲載しております。いつでも結構ですので興味のある方はぜひ練習風景を覗いてみて下さい。お待ちしています。
ー以 上ー
(2011年3月)